ある発見が大発見なのか中発見なのか、はたまた無意味なものなのかは
一体どうして決まるのだろうか。
無名の新人研究者が提出して来た難解な数式がならんだ論文の価値を
即座に判定して、次号の「ネイチャー」に掲載するか否か決めなければ
ならぬとしたら。掲載不可として返却すれば、新人は同じ論文をライバル
の「サイエンス」誌に持ち込むかもしれない。そして同誌がこれを掲載し、
後にほんとうに大発見であることが、明らかになれば「サイエンス」誌は
先見の明があったと、誌価を全世界に高めるこになるだろう。
このような事態は今や細分化されたすべての専門領域で起こりえる。
ある研究成果の価値を判定できるのは、プライド高き本人を除くと、ごく
少数の同業者でしかないということである。
そこで「ネイチャー」や「サイエンス」など著名な科学誌のみならず、論文
発表の場となっているほとんどすべての専門誌では、ピア・レビュー
(peer review)という方式で、掲載論文採択の決定を行っている。ピアとは
同業者ということ。
専門誌の編集委員会はピアに審査を依頼する。ピアは論文の価値を、
その新規性、実験方法、推論の妥当性などについて判定し、採点結果を
かえす。委員会はこの判定に基づいて、掲載の可否を決定する。
根回しや情実が働かないよう、誰がピアとなるかは委員会の秘密事項で
論文の著者には知らされない。
発明・発見の権利に関して、いくら、自分も同じことを考えていた、それは
もともと私のアイデアだ、と主張してもダメなのだ。研究業績の先取権
(クレジット)は、一番先に論文発表した者のみに与えられる。時にそれは
ほんの数週間、あるいは数日違うだけのことさえある。
このピアの仕組みには大きな問題を含んでいる。ピアは結局は競争者
または競争者に対して情報の漏洩者にもなるからだ。
DNAのくさりには化学的に方向性があり、2重ラセンを構成する二つの鎖は
同じ方向をむいているのではない。互いに逆方向を向いて絡まっている
のである。では何がワトソンとクリックをしてDNAの逆並行構造に目を開か
せたのだろうか。かれらはある重要な手がかりをひそかに「透かし見」
していたのだ。
ロザリンド・フランクリンのX線解析
ロザリンドは1920年、英国の裕福なユダヤ人家系に生をうけた。聡明な
彼女は早くから理数系の学科に興味を持ち、大学はケンブリッジに難なく
進学した。彼女の専門分野はX線結晶学だった。
未知物質の結晶にX線を照射する。すると波長の短いX線は、物質の分子
構造に応じて散乱する。その散乱パターンを感光紙に記録する。これを
特別な数学で解析すると分子構造についての、手がかりを得ることが
可能になる。
ロンドンのキングスカレッジにあって、彼女にまかされた研究テーマは
X線によるDNA結晶の解析だった。
時はあたかもエイブリーによる発見、つまりDNAこそが遺伝物質であると
いうことがようやく広く認められるようになっていた。そうなれば次の
ターゲットはおのずと、DNA自体の構造を解くということになる。
当時まだ20代前半だったアメリカ人、ジェームス・ワトソンは一攫千金を
夢見て、ロザリンドの出身校であるケンブリッジ大学に到着していた。
ロザリンドは着実に仕事を進めていった。DNAには水分含量によって、
A型とB型が存在することを明らかにし、それを区別して結晶化する技法
を編み出していた。さらにそれぞれの微小なDNA結晶に正確にX線を
照射し、美しい散乱パターンの写真撮影にも成功していた。
彼女は未発表データとして誰にもみせず、数学的解析をひとり進めて
いた。
一方ワトソンとクリックは演繹的アプローチでDNA構造に迫ろうとしていた。
ワトソンとクリックは自分たちで実験を行い、自らデータを収集しようとは
しなかった。しかしいくら演繹的といっても、思考のジャンプ台となるべき
データや観測事実が必要だった。
それは意外なところからもたらされた。
ロザリンドは自分が独立した研究者であり、DNAのX線結晶学が自分の
プロジェクトだと考えていた。彼女が所属するロンドン大学
キングスカレッジでDNA研究をしていたモーリス・ウイルキンズは彼女を
自分の部下とみなしていた。この齟齬が不幸の始まりだった。
曖昧さや妥協を一切許さない」ロザリンドは研究所内でことあるごとに
ウイルキンズに衝突した。或る時などウイルキンズにたいし、DNAから手を
引くよう言い渡したこともあった。
ウイルキンズとロザリンドが所属していたロンドン大学キングスカレッジと
ワトソンとクリックが所属していたケンブリッジ大学キャベンデイッシュ
研究所はDNA構造解明を巡ってライバル関係にあった。しかし両者は私的
なレベルでは友好関係にあった。特にウイルキンズとクリックハ年も近く
親交があった。
ワトソンがある時ロンドン大学を訪問し、ロザリンドと論争してきわめて
険悪なムードになったことがあり、それがきっかけでウイルキンズと被害者
同盟を結んでく急に打ち解ける場面がある。そこでウイルキンズは秘密を
語る。彼はひそかにロザリンドの撮影したDNAの3次元形態をしめす、X線
写真を複写しているという。
彼は彼らがB型構造と呼んでいる写真のプリントをもってきた。
ワトソンはその写真を見た途端、そのなかの一番印象的な黒い十字の
反射は、らせん構造からしか生じえないものだった。
このことは語るに落ちるというべきか、ワトソンの1968出版「2重らせん」
の暴露本に描かれている。
しかしそれを意味づけるためには手間隙のかかる数学的変換と解析が
必要だ。垣間見ただけで、それがワトソンにできたとは信じがたい。また
ウイルキングの側にもその意味するところを十分把握していなかった。
むしろこのドラマの登場人物の中で、X線結晶構造解析について最も
「準備された心」をもっていたと思われるのは、物理学出身で、すでに
たんぱく質X線データ解析の経験もあったクリックであった。
ロザリンドは1952年、レポートを年次報告書として英国医学研究機構に
提出した。同機構は彼女に研究資金を提供している公的機関である。
このリポートは学術論文ではない。したがって厳密なピア・レビュー、
即ち専門科学者による価値審査をうけることなく、公表されることもない。
とはいえ、予算権限を持つメンバー達が目を通すことになる。その意味で
研究論文と同様、ピア・レビューに晒されることになる。
そのレビューアーのなかにマックス・ペルーツがいた。キャベンデイシュ
研究所では、クリックの指導教官にあたる立場にいた。
リポートの写しはペルーツに行き、そこからクリックの手に渡った。
クリックは、じっくりと、だれにも邪魔されることなく、データを見ることが
できたのである。
このリポートはロザリンド自身による測定数値や解釈も書き込まれていた。
つまり彼らは交戦国の暗号解読表を入手したのも同然だった。
そこにはDNA結晶の単位格子についての解析データが明記されていた。
これをみればDNAらせんの直径や1巻きの大きさ、そしてその間に
いくつのの塩基が階段状に配置されているかが、解読できた筈である。
その上で、さりげない、しかし最も重い意味をもつ記述があった。
「DNAの結晶構造はC2空間群である」 C2空間群とは二つの構成単位
が互いに逆方向をとって、点対称的に配置されたときに成立する。
クリックの心には、たんぱく質ヘモグロビンの結晶構造がC2空間群を
とっていることをしっかり留めていたのだ。
2本のDNA鎖は、反対方向を向きながら互いに絡まりあっている。
クリックによってデータはたちどころにそう解釈された。
このとき、AとT,GとCの塩基対は、鎖の走行と90度の平面をとって、
ぴったりとDNAらせんの内部に納まることになる。反対方向に対合する
DNAの複製も互いに逆方向に起こる。
すぐに、ワトソンとクリックは論文を「ネイチャー」に送った。
DNAらせん構造が明らかにされてから、およそ10年、1962年の暮れ、
ストックホルムでのノーベル賞受賞式に、3人の晴れ姿があった。
ワトソン、クリック、そしてモーリス・ウイルキンズである。彼らには医学
生理学賞が授与された。しかも同じ壇上には、たんぱく質の構造解析の
貢献者として、マックス・ペルーツがいて、化学賞を与えられた。
共犯者たちがその場所にそろったのである。
最も重要な寄与をしたはずのロザリンドは、彼らがそろってノーベル賞を
受賞したことも知らず、自身のデータが彼らの発見に決定的な役割を
はたしたことさえも、生涯気づかないまま、この年の4年前の1958年
4月、37才でガンにおかされてこの世を去っていた。
彼女は研究テーマをDNAからタバコモザイルウイルスに変えて、その
立体構造をほぼ解き終わっていた。ウイルスはらせん状のRNAを中心
にもち、それを取り巻くようにたんぱく質のサブユニットが、回転弧を描き
ながらつみあがった円柱構造をとっていた。
X線を無防備に浴びすぎたことが、死につながったのではないかと、
言われている。
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