映画「博士の愛した数式」 BS2
かねて見たいと思っていた映画「博士の愛した数式」を
見ることができた。
原作 小川洋子 監督 小泉尭史
博士 寺尾 聡 家政婦 深津絵里 義姉 浅岡ルリ子
ルート 吉岡秀隆(家政婦の11歳の子供)
高校教師として初めての数学授業に臨んだルートは
そのあだ名の由来と博士と母と自分との交友を話し、
数学の基本の話を分りやすく話す。(ルートとは√)
細かい話は原作から要約した。
あけぼの家政婦紹介組合から、私が初めて博士のもとへ
派遣されたのは、1992年の3月だった。その組合に
登録された家政婦の中で私は一番若かったが、キャリア
は既に10年を超えていた。
博士の場合カードを見ただけで手強い相手だと予測
できた。先方からのクレームにより家政婦が交代した
場合、カードの裏に☆印の判が押されるのだが、博士の
カードには9っものマークがついていたからだ。
面接のため博士の家を訪れると上品な老婦人だった。
左手に黒い杖をついていた。「世話をしてほしいのは、
ギテイです」 最初博士と老婦人がどういう関係なのか
わからなかった。ギテイとは義理の弟のことだと理解した。
「月曜から金曜まで、午前11時に来て、義弟にお昼を
食べさせ、部屋を清潔に整え、買い物をし、晩御飯を
作って、夜の7時に帰る。それだけです」
「弟のいる離れと母屋は行き来しないで下さい。義弟が
起したトラブルは離れで解決して下さい」
「弟は記憶が不自由なのです。惚けているのではありま
せん。全体として脳細胞は健全に働いているのですが、
17年前ごく一部に故障が生じて、物事を記憶する能力が
失われた次第です。交通事故にあい頭を打ったのです。
記憶の蓄積は1975年で終っています。
30年前に自分が見つけた定理は覚えていても、昨日
食べた夕食のメニューは覚えていません。簡潔に言うと
頭の中に80分のビデオ・テープが1本しかセットできない
状況です。そこに重ね録りしていくと、以前の記憶は
どんどん消えていきます。義弟の記憶は80分しかもち
ません。きっちり1時間と20分です。
原作は瀬戸内海の小さな町が舞台だが、映画では長野
の北アルプス山麓の小さな町になっている。山を背景に
田園を走る自転車姿が美しい。
「君の靴のサイズはいくつかね」新しい家政婦だと告げた
私に博士が一番に尋ねたのは名前ではなく靴のサイズ
だった。「24です」「ほお、実に潔い数字だ。4の階乗だ」
「カイジョウとは何でしょうか」、「1から4までの自然数を
全部掛け合わせると24になる」。
「君の電話番号は何番かね」、「576の1455です」、
「5761455だって? 素晴らしいじゃないか。1億までの
間に存在する素数の個数に等しいとは」。
自分の知識をみせびらかす様子は無く、慎みと率直さが
感じられ、彼の口調にこもる温かみが伝わってきた。
博士はなにを喋っていいか混乱した時、言葉のかわりに
数字をもちだすのが癖なのだと判明した。数字は相手と
握手するための右手であり、自分の身を保護するオーバー
だった。それさえ着ていればとりあえず自分の居場所を
確保できた。
私が家政婦を止めるまで、毎朝玄関で数字の会話が繰り
返された。玄関に現れる私は常に初対面の家政婦だった。
訪ねる数字は郵便番号、自転車の登録番号、名前の字画
などいくつかのバリエーションがあったが、それらにすぐさま
意味を与えるのはいつも同じだった。
階乗や素数の仕組みについておいおい博士から説明を
受けた後でも、私は玄関での問答を新鮮な気持ちで
楽しんだ。
博士は64歳の、数論専門の元大学教師だった。見た目は
実際の年齢よりやつれていた。
家にいる時も、外出する時も博士は毎日背広を着て、
ネクタイを締めていた。最も私を戸惑わせたのは、背広の
あちこちにクリップで留められたメモ用紙の数々だった。
80分の記憶を補うため、忘れてはならないことをメモし、その
メモをどこにやったか忘れないため、身体に貼り付けていた。
かってクビになった9人の家政婦仲間の話から分ったのは、
母屋の老婦人は未亡人で、亡くなったご主人と博士が兄弟
だった。両親が早く他界したにもかかわらず、博士が英国の
ケンブリッジ大学まで留学し、数学の勉強を続けられたのは、
親の残した織物工場を兄が大きくし、一回り年下の弟の
ために学費をだしてくれたからだった。正真正銘の博士号
をとり、大学の数学研究所に就職が決まってようやく自立
出来た矢先に、兄は急性肝炎で死んでしまう。
残された未亡人は子供がいなかったため、工場をたたみ、
跡地にマンションを建て、家賃収入で暮らしを始める。
それぞれの穏やかな生活を一変させたのは、博士が47歳
の時、巻き込まれた交通事故だった。博士の運転する車に
対向車線から居眠り運転の車が衝突し、脳に回復不能の
ダメージをうける。同乗の義姉も左足を骨折した。
結果、研究所の職を失った。以来数学雑誌の懸賞問題を
解いて、僅かな賞金を稼ぐ以外収入がなく、結婚もしない
まま、64歳になる現在に至るまで未亡人の援助の元から
離れられずにいると、いうわけらしかった。
君の誕生日はいつかというので2月20日というと、220
実にチャーミングな数字だ。博士の腕時計の裏には284の
番号があった。大学時代超越数論の論文で学長賞として
貰ったものだ。皿なんか洗っている場合じゃないという。
「約数は知っているでしょう。220は1で割り切れる。220
でも割り切れる。では220と284の約数で自分自身を
除いた数を足してみよう。こんな風に」
220: 1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284となる。
284:1+2+4+71+142=220となる。
見てごらん、この素晴らしい数字の連なりを。220の約数
の和は284。284の約数の和は220.友愛数だ。滅多に
存在しない組み合わせだよ。フエルマーだってデカルト
だって1組ずつしか見つけられなかった。神の計らいを
受けた絆で結ばれあった数字なんだ。美しいと思わない
かい。君の誕生日と僕の手首に刻まれた数字が、これほど
見事なチェーンでつながりあっているなんて」
本当に私が警戒心を解き、博士を信用するようになった
のは、博士と息子が出会った最初の瞬間からだった。
博士は息子の帽子を取りながら(タイガースのマーク入り)
頭を撫でながら、本名を知るより前に、彼にうってつけの
愛称をつけた。頭のてっぺんが平らのをみつけ、
「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらずに自分の中に
かくまってやる、実に寛大な記号、ルートだ」、早速博士
は袖口のメモにその記号を書き加えた。「新しい家政婦
さんとその息子10才 √)
博士が私の作った料理に手を合わせて「いただきます」
と言ってくれたのも、息子と3人でとった最初の夕食の時
だった。よる6時に一人分の食事を用意し、後片付けを
終えて7時に帰るのが契約だったが、息子が加わった
途端、このスケジュールに異議を唱えた。
「お腹を空かせたこどもの前で、大の大人が一人だけ
パクパクものを食うなどもってのほか。家に帰ってから
作るのでは、ルートが晩御飯にありつけるのは8時に
なってしまう。それはいかん。非効率だけでなく、道理
にも合わない。子供は8時にはもうベッドに入って
いなくちゃ駄目だ。大人には子供の睡眠時間など削る
権利などありはしない。人類が誕生して以来、子供は
いつの時代でも、眠っている間に育つものなのだ」
とり合えず私と息子の夕食代は、給料から引いてもらう
よう、後で組合長に相談することにした。
食卓で博士は見事なマナーを見せた。姿勢を正し、
余計な音をたてず、テーブルにもナプキンにもスープ
一滴もこぼさなかった。
晴れた日はルートは帰宅後すぐ野球にでかけて行った
ので、雨が降ると博士は喜んだ。ルートと一緒に算数
の宿題ができるからだった。ルートも「博士の部屋で
勉強すると、頭が良くなったみたいに思えるよ」と
言った。
彼は分数や割合や体積を、みごとなやり方で教えること
ができた。
「355かける840は? 6239割る23は? 4.62足す
2.74は? 」文章題であれ単純な計算であれ、博士は
先ず問題を音読させることから始めた。
「問題にはリズムがあるからね。音楽と同じだよ。口に
だしてそのリズムに乗っかれば、問題の全体を眺める
ことができるし、落とし穴が隠れていそうな怪しい場所の
見当もつくようになる。
「ハンカチ2枚と靴下2足を380円で買いました。同じ
ハンカチ2枚と靴下五足を買うと710円でした。ハンカチ
1枚と靴下1足の値段はそれぞれいくらでしょう?」
「さ、まずどこに目をつけるかだ」、「うん、ちょっと難しいよ」
「確かに今日の宿題のなかでは1番の曲者かもしれん。
しかし、さっき君は実にうまく音読したね。この問題は
三つの文章から成り立っている。ハンカチと靴下が3回
ずつでてくる。X枚、X足、X円、X枚、X足、X円・・・・この
繰り返しのリズムを、的確に掴んでいた。味気ないドリル
の問題が1篇の詩のように聞こえたよ」
博士はルートを褒めるのに、努力を惜しまなかった。ルート
がどんなに愚かな袋小路に入り込んだ時でも、小さな美点
を見出した。
「じゃあ、この人の買い物を絵にしてみようじゃないか、まず
ハンカチ2枚だろ。それから靴下が2足と・・・・・・・」「それ
靴下に見えないよ。太った芋虫だよ。僕が描いてあげる」
「立派なものだよ。ルートのいうとおり、靴下が増えた分だけ
値段も高くなったわけだ。いくら高くなったか計算してみよう」
「えっと・・・710引く380だから・・・」「筆算の跡も、消さずに
きちんと残しておく方がいい」「いつもは、いらない紙の裏で
ごちゃごちゃっと計算するんだ」「どんな式にも、どんな数字
にも意味があるからね。大事に扱ってやらなくちゃー、
かわいそうだろう」
「その調子、その調子。割り算まで持っていけば、もうこっちの
もんだ」「靴下の方がさきに答えが出たね。110円だ」
「よし。ここで油断しては駄目だぞ。案外おとなしそうな顔を
して、ハンカチの方が食わせ者かもしれないからな」
「110掛ける2は220、これを380から引いて・・160だから
・・・割る2は80・・できた。ハンカチは1枚80円だよ」
「正解だ。見事な正解だ」
「ラジオの修理をしてほしいんだ。ここでは、壊れているし、
テレビも無いし、ペナント・レースはもう始まっているんだよ」
「ルートはどこのフアンなんだ」「帽子をみれば分るじゃないか。
タイガースだよ」「おじさんは江夏のフアンだ」
自分の息子は米国の田舎街にいたから、日本語学校はなく
小学校の前半は日本語教育を受けなかったため、あとあと
まで、国語、歴史、地理、社会は芳しくなかったが、なぜか
数学は幾何を含め得意だった。何時も学年のトップだった。
後年1浪で大学の理工学部に入学出来たのも数学のおかげ
だった。英語は滞米中あまり進んでいるとは思えなかったが、
LとRの区別ははっきりできていたらしく会話には苦労し
なかったようだ。いまではEXXON・MOBILに勤め、活躍して
いる。4歳の女の子はピアノと英語を習い始めている。
一方姉の方は図書館から借りた英文の少年少女
小説を片端から読み、のちに「チャーリーとチョコレート工場」
もこの時読んでいたと聞き、驚いた。英語については進歩
著しく英検1級もとり、ピアノと共に、代官山在、米系の教会
で音楽プロモーターとして、また子供(小5の男の子、小3の
女の子、いずれも英語が喋れる。ピアノと歌も)とともに
大活躍している。
この後、散髪、公園連れ出し、整数,完全数、アルテイン
予想、江夏投手、ラジオの修理完了とプロ野球放送、平均、
素数、博士の野球のコーチとルートの野手同士の衝突、
三角数、プロ野球観戦とその後の興奮発熱と息子と泊まり
こんでの看病等の、こころ温まる話、ちょっぴり悲しい話
が続く。
江夏の背番号28は完全数である。完全数とは約数の和が
それ自身の数になるもの。28=1+2+4+7+14
これは博士に影響をうけた私の発見だった。博士から大変
褒められた。「1番小さな完全数は6. 6=1+2+3
28の次は496.その次は8128.数が大きくなればなる
ほど完全数を見つけるのはどんどん難しくなる。
私は子供を連れ込んだこと、離れに泊まったことで、母屋の
老婦人から解雇を言い渡され、その後は税理士宅の家政婦
をしていた。
あけぼのの事務員から税理士宅に電話がかかった。「例の
数学の先生のお宅に行って。息子さんが厄介ごとをおこした
らしいの。組合長さんの命令よ」
老婦人は「どうして辞めた家政婦さんの子供が義弟のところ
にやってくる必要があるのですか」ルートは「僕、別に悪い
ことはしていないよ」という。私は「いや、別に必要というほど
の問題ではないのでは・・・ただちょっと,遊びに来ただけの
話だと思うのですけど」、ルートは「図書室で借りた「ルー・
ゲーリック物語」を一緒に読もうと思ったんだ」、「友達の家に
遊びに来ただけですよ」「誰と誰が友達ですか」「私と息子と
博士がです」「義弟には友人などいません。一度だって友人
が訪ねてきたためしなどないのです」「ならば、私と息子が
最初の友人です」
不意に博士が立ちあがった。「いかん子供をいじめて
はいかん」そしてメモ用紙になにやら書き付けたあと、食卓
の真ん中に置き、部屋からでて行った。その紙にはたった
1行の数式 eのπi乗+1=0 が書かれていた。
もう誰も余計な口をきかなかった。老婦人の動揺や冷淡さ、
疑いが消えていくのが分った。
ほどなく組合から、博士宅の仕事にカム・バックするよう通達
があった。
eのπi乗プラス1=0と書かれたメモ用紙を取り出し探求にとり
かかった。博士に聞けばよいのだが、自分で調べる気になり、
図書館に出かけた。
そこで見つけたのは、フエルマーの最終定理について書か
れた本だった。
フエルマーの最終定理が未解決の難問であるのは知って
いたが、内容が簡潔に表現できるとは驚きだった。
3以上の自然数nに対して
Xのn乗+Yのn乗=Zのn乗を満たすような自然数X,Y,Zはない。
ざっと読んだところ、この命題は論文からではなく、走り書き
によって生まれ、余白がないという理由で証明を残さなかった
らしい。多くの天才たちが挑戦したがことごとく跳ね返されて
しまった。
そして私の探していた式を発見、それはオイラーの公式と
呼ばれていた。
πは分る。iは-1の平方根で虚数。厄介なのはeだった。
eもπも同じ循環しない無理数で数学で最も重要な定数の
一つらしい。まず対数とは何かから始めなくてはならない。
eを何乗すれば与えられた数が得られるか、というその指数
を考えるのである。つまりeは自然数の底ということになる。
そして肝心のeだがオイラーが算出したところによれば、
e=2.71828182845・・・・・・・とどこまでも果てしなく続く。
しかし、計算式は非常に明快だ。
e=1+1/1+1/(1x2)+1/(1x2x3)+・・・・・・・・・・・
ただ明快なだけに余計、eの謎が深まっていくようにも
思える。
無関係にしか見えない数の間に自然の結びつきを発見した。
博士はごちゃごちゃした分り難いものに、子供をいじめない、
一つの純粋な愛を加えることでゼロになる、チャラになる。
すべてチャラにしなさいと言っていたのだ。オイラーの公式
は暗闇にひかる一筋の流星だった。
{JOURNAL of MATHEMATICS}の創刊以来最高の懸賞金
がついた問題を博士が回答したらしい。そのお祝いとルート
の11才の誕生祝いを一緒にすることになった。
ルートはタイガース時代の江夏のグローブの砕片が組み
込まれた、野球カードをある菓子メーカーおまけに付けたこと
があることを発見。
これを博士にプレセントしようと、カード屋を探し始めた。
私も参加したが発見できなかった。家政婦仲間から、一人の
母親が駄菓子屋を止めたとき、野球カードを持っていたらしい
との情報が入り、早速貰いうけ調べ始めた。「あった」ルートの
喜びは最高だった。
素晴らしいパーテイだった。ルートの11回目の誕生日が特別
だったのはやはり博士がいてくれたからだと思う。
私の博士へのプレゼントは靴、博士のルートへのプレゼントは
グローブ(老婦人が買いに行ってくれたもの)、博士は江夏の
野球カードには大感激した。博士は1975年まで野球カードの
収集家であった。
1993年6月24日の新聞に、英国生まれのプリンストン大学
教授、アンドリュー・ワイルドによって、フエルマーの最終定理が
証明されたという記事が載った。数学の古典的謎が遂に解決
されたことは、人間の知性の勝利であり、数学の新たな1歩だと
偉業を讃えていた。また、証明の核心には、日本人数学者、
谷山豊と志村五郎が打建てたアイデア、予想があった事実も
記されていた。
博士が専門の医療施設に入ったのはパーテイの翌々日の
日曜日だった。連絡をくれたのは老婦人だった。
「前々から準備は進めていました。施設の定員に空きがでる
のを待っていたのです」「80分のテープは壊れてしまいました。
義弟の記憶はもはや、1975年から先は1分たりとも前進でき
なくなっております」「施設にお世話にうかがってもいいんです」
「その必要はありません。何でも向こうでやってくれます。それに
義弟はあなたを覚えることは一生できません。私がおります。
私のことは一生忘れません」。
施設は町の中心からバスで海辺へ40分ほど走った場所に
あった。談話室の窓からは、ひび割れた滑走路と雑草の生えた
格納庫、その向こうに細長い海が見えた。
私とルートは1ヶ月か2ヶ月に一度博士に会いに行った。日曜の
朝サンドウイッチを作り、談話室でしばらくお喋りをし、テラスに
でて一緒にお昼ご飯を食べた。暖かい日には博士とルートは
芝生でキャッチボールをした。そしてお茶を飲み、またお喋りをし、
1時50分のバスに間に合うようおいとました。
こんなふうにして私たちの訪問は、博士が死ぬまで何年にも
わたって続いた。
ルートは中学、高校と進み、大学に入って膝を怪我するまで、
2塁手として野球を続けた。その間私はずっと「あけぼの」の
家政婦だった。
博士のシンボルは首からぶら下げている野球カード、私達が
プゼントした江夏のプレミアム・カードだった。
最後に訪問したのはルートが22歳を向かえた秋だった。
「2以外のすべての素数は2種類に分類されること、知って
いるかね」「nを自然数として、4n+1か4n-1か二つに一つだ」
博士の幸福は計算の難しさに比例しない。
「ルートは中学校の教員採用試験に合格したのです。来年の
春から数学の先生です」
博士はルート抱きしめようとする。胸で江夏のカードが揺れる。
写真のなかの江夏の背番号が見える。完全数、28.


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