著者NHKスペシアル取材班、新潮社刊、2011年7月15日
太平洋戦争の本当の戦犯は誰なのか?
彼らは何のために戦争を始めたのか?
戦後日本海軍中枢のエリート約40人ガ密かに集まり
語り合っていた内容が400時間分ものテープに残されて
いた。
プロローグ 藤木達弘
NHKスペシアル「日本海軍400時間の証言」(2009年8月
放送。全3回)は放送の五年前、2004年8月にひとりの
研究者と出合ったことから始まった。責任者として私が
謝らなくてはならぬ相手は「昭和館図書情報部長、戸髙一成
氏であった。
戸髙氏は戦後生まれであるに拘わらず、子どものころから
軍関係の本や雑誌が好きでのめりこんで行った。
戸高氏のコメント。「平時はいいけど、戦時になると偉いひと
ほど責任を問われない。作戦を失敗しても責任者の責任を
問わないケースが多くなってしまう。人事も問題が多い。
戦時にも拘わらず平時と同じように行われている。
ミッドウエイ大作戦の前にも平気で大幅な人事異動をしている
んだから。戦争をするための適材適所とはとても言えない」。
旧海軍という「組織」が抱えた問題や犯した罪はおおまかに
まとめるなら、
「責任者のリーダーシップ欠如」
「身内を庇う体質」
「組織の無責任体質」
戸髙氏は出会ってから約2年後、「海軍反省会」とその録音
テープの存在を明かした。
「海軍反省会とは何なのか」
1980年から1991年まで分っているだけで131回に
わたって、ほぼ毎月海軍士官のOB組織である「水交会」で
開かれていた。メンバーの多くが太平洋戦争当時、軍令部
や海軍省に所属していたエリート軍人であった。
戸髙氏は反省会の幹事役の土肥一夫氏に頼まれ資料作成
や整理などを手伝い、そしてその肉声テープを20年以上
保管していたのである。
「自分たちが生きている間は決してその存在を表に出しては
いけない」との反省会の幹事からの申し渡しを頑なに守って
きたのである。
しかし同時に反省会の議論で話されている内容の重要性は
十分に認識し、歴史の空白を埋める資料であることを重く
受け止めていた。
公表のチャンスをずっと待ち続けていたのではないか。
メンバーがほとんど鬼籍に入った時に現われたのが、我々で
あった。戸高氏は我々とともにその責任を果たそうとしたと
思えるのである。
それにしても131回、総計400時間の議論である。しかも
参加者は当時既に70代から80代の老人たち。そこまでして
議論を続けた老人・旧海軍士官たちの「執念」とは何であった
のか。
戸髙氏は反省会のメンバーが「胸のつかえ」を晴らそうとした
のではないか、と私たちに話した。「胸のつかえ」とは何なのか。
私はそれを、旧士官たちが「空白の歴史」に対する責任を
果たそうとしたことではないかと今は考えている。
そう考えるようになったのは、反省会テープを聴き続けていた、
2007年春の取材先での出来事がきっかけだった。
この頃、私とデイレクターの右田千代、内山拓、リサーチャーの
土門稔は反省会が開かれていた「水交会」に毎日通って
いた。私たちが通っていたのは、そこに保管されていた「小柳
資料」を閲覧するためだった。
「小柳資料」は1956年から61年にかけて、小柳富次もと中将
が、海軍大臣や軍令部総長、軍務局長など、旧海軍の最高
指導者たちから聞き取りを行いまとめたものである。
ただその当時小柳資料は一般に公開されていなかったため
管理責任者にその閲覧とコピーを願い出た。資料管理の責任者
である古賀雄二郎はとりあえずの閲覧を認めてくれたものの
「皆さん、資料をこの場所で一度読み、それから番組の構想を
練ったらいかがでしょう。複写についてはそれから相談しましょう」
と言う条件を提示した。
この条件はのちにとても大きな収穫となって、私たちに返ってくる
ことになった。ともかく読まなければ先に進めないとなると。この
作業がやがて海軍士官たちの「胸のつかえ」を知ることにつな
がってゆくのである。
「小柳資料」はやはり1級資料であり、番組でも取り上げる重要な
新事実やおおくの参考情報を得ることができた。
しかし資料を読んで、私が最も重要だと感じたのは、逆に歴史的
に重要なおおくの事実を当事者たちが「述べていない」、「遺して
いない」と言う点だった。
小柳資料が作成されたのは戦後10年以上が既に過ぎていた頃
である。それだけの時間を経過しても、軍の指導者たちはなお
多くのこと、(こちらが知りたいこと)を語っていないし、遺して
いなかった。
反省会では、この小柳資料で「語られていなかったこと」、「遺され
ていなかったこと」が数多く議論されていた。
それは、自分たちが知る本当の事実が伝えられていない
「それはどうしても遺したい」という旧海軍士官の思い。そして
「空白の歴史」をすこしでも埋めておこう」という「責任」ではなかった
のか。
「命じられた側でなく「命じた側」に迫るという番組。
反省会の議論で我々がとりあげるべきだと考えたテーマは、
大日本帝国海軍というこの組織が抱えた問題は、現代日本の
官僚組織、企業でも起きているのではないか、というものだった。
「組織優先で、個人を軽視する」
「失敗した時の責任の所在の曖昧さ」
「流れに身を任せた結果生まれるやましき沈黙」
などの教訓である。
確かに反省会の旧海軍士官たちは、おおくの重要な歴史的事実
をじぶんたちの「責任」において遺した。議論では率直に語り、
先輩たちなども厳しく批判している。
私が注目したのは反省会が開かれた時期だった。
反省会メンバーの多くは「小柳資料」でとりあげられている。
旧海軍の最高幹部たちの直属の部下であった。
反省会が始まった昭和50年代と言うのはかっての上司たちの
多くが既に亡くなって初めて批判を始めたとは言えないだろうか。
私はもうひとりのプロデューサー高山仁と議論を重ね、取材デスク
の小貫武を代表として出演させその決意(反省会で話されている
海軍の失敗を決して過去のこととして語らず、現代への教訓を
さがす。その際、そのことを自分たちの問題として語る)を伝える
ことにした。この番組は過去のことを伝える「歴史番組」でなく
すべてを現代の問題として伝える「報道番組」であるということで
あった。
放送後若い視聴者を中心に大きな反響を呼び、その多くが自分
たちの問題と重ね合わせて視聴してくださっていることが分った。
番組は多くの賞を受賞した。右田千代は放送ウーマン賞を受賞
した。
番組について作家の佐野真一氏は「日本海軍の病理というだけ
でなく、いまの日本に生きる私たちの病理でもある。視聴者に
消費されるために作られたしか思えないテレビ番組が横行する
なかで、圧倒的な存在感で底光りしている」と述べてくださった。
今回の書籍化にかんしては分担して執筆を行った。われわれが
番組で伝えたかったことは何か、十二分に伝わる内容になった
と自負している。
原稿の最後のチェックを行っていた2011年3月11日に東日本
大震災が起きた。
軍令部の士官の多くが、
「太平洋戦争には反対だった」
「戦争をやればかならず負けると考えていた」などと述べている。
日本人だけで300万人、アジアなど諸外国を含めるとさらに
膨大な犠牲者を生むことになる開戦へのながれの中で、決定的
な役割を果たした軍令部の士官たちが、そのことをどこか「他人
事」として語り、開戦の責任も曖昧になっていったと、私には感じ
られるのだ。
尚、開戦時軍令部1部1課作戦担当、課長 佐薙 毅海軍大佐
(戦後は自衛隊空幕長となる)は、れいの三菱の佐薙の父親だ。
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