中部フランク王国、フランク帝国の核心であったこの地は正に
無主の地のごとく、漸進的に隣国により侵食解体され、そして
消滅する。
東のフランク王国は911年ルードヴィッヒ4世で断絶し、
ザクセン朝、その後王朝は変遷しハプスブルグ朝は領封国家
ながらもその所領を伸張し現在のドイツの萌芽となる。
片や西のフランクは、正統のカロリング朝は987年ルイ5世
をもって断絶するが、その後カペー朝、その傍系のヴァロア朝、
ブルボン朝をへて、現在のフランスを形成する。
第2時大戦中の仏側マジノ線、ドイツ側のジーグフリート線は
まさしく中部フランクを縦走する。
アルサス・ロートリンゲン、この地はブルグンド北部、ロート
リンゲン南部に当る。古くから東西両国の係争地であったが、
鉄鋼、石炭の主要産地でもあった。この共同管理を目的にして
1952年欧州石炭・鉄鋼共同体、ECSC,となり、これが1957
の欧州経済共同体、EEC,1993年には欧州共同体、EC,そして
2009年、現在の欧州連合、EU,と発展する。
EUの本部ブラッセルはまさにフランク帝国の発祥地である。
大帝シャルマーニュの生地はリエージュ近郊である・
神聖ローマ帝国はなじみが薄く、おとぎ話の王様や姫や
騎士の物語のようだが、現実は怖い、恐ろしいものだったのか
とも思う。それとも比較的牧歌的な世界だったのかな。
フランク帝国はガリアと呼ばれた地区。 アルプスの向こう側
およびこちら側の大部分を支配し、9世紀、大帝シャルマーニュ
の支配の下、ローマ帝国の再来を思わせるほどであった。
大帝の嫡子ルイ1世の死去により、843年ヴェルダン条約に
より、3分割され、中部フランクはその一つとして誕生した王国
である。
長男ロタール1世が祖父シャルマーニュ以来の神聖ローマ皇帝
の称号とともに継承する。今の国名で言えば、オランダ、ベルギー、
ベネルックス、南西部フランス、西部ドイツ、スイス、北中部
イタリアを包含する。
その後10年有余で、855年、この国は再度分割される。フランク
では長子相続ではなく、分割相続制が原則であった。
長子ルイ2世のイタリア王国、次子ロタール2世のロタリンギア、
3男シャルルのブルグンド。
神聖ローマ皇帝の称号は長男ルイ2世が継承する。
中世期、神聖ローマ皇帝位は西欧の覇権を目指す諸侯の、「錦の
御旗」であった。
しかし855年以来この3王国はきわめて複雑な経路をたどり、また
その領域も変転する。3兄弟ともに、後嗣がなかったこと、東西
フランク王の強力な介入、その後の東西フランクの後継王朝の
相克が大きく影響した。
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