淵田美津夫自叙伝(4) クリスチャンに回心
アメリカから日本軍捕虜が送還されて来た。最初に帰って
きたのは傷病兵たちで約200名、2隻の輸送船で浦賀
に着いて、臨時に設けられた収容所に入った。 私は
この人たちがどのように扱われたか知りたいと思った。
一隅に20人ばかりの義手や義足をつけた人たちが
かたまっていたが、そのうちの一人が近づいてきて
話しかけてくれた。
この人たちはみんな、腕を落としたり、足を切ったりの
重傷者たちで、ロッキー山脈で温泉の湧出するユタ州
のある町の捕虜病院に収容されていた。そして手当て
を受けながら、技手や義足さえも作ってもらっていた。
終戦の半年前に、一人の米人女性が現れた。20歳
前後であった。そして日本人捕虜たちに懸命の奉仕を
始めたのであった。
「皆さん、なにか不自由なことがあったり、何か欲しい
ものがあったら、私に言って下さい。私はなんでも
かなえて上げたいと思ってます」。
最初捕虜たちは、突拍子もないヤンキー娘が現れて
なにか売名的な意図でもあるのだろうと思っていた。
ところがこのお嬢さんのなさることには、いささかの邪気
もない。朝やってきては、夕方帰っていくのであるが、
傷病者たちに親身も及ばぬ看護ぶりであった。
2週間、3週間と続いてゆくうちに、捕虜たちは心うたれ
てきた。
「お嬢さんはどういうわけで、こんなに親切にして下さる
のですか」。彼女ははじめ言葉を濁していたが、あんまり
問い詰められるので、遂に言った。
「私の両親があなたがたの日本軍隊によって殺された
からです」
これを聞いて私はびっくりした。「その仔細をもっと詳しく
聞かせてくれ」と乗り出した。
マーガレット・コヴェルの両親は、日本に派遣されていた
バブテスト系の宣教師であった。神戸にもいたし、横浜
にもいた。横浜ではミッションスクール関東学園の
チャプレン(宗教主任)であった。
キリストにある平和主義者で、戦争反対を唱えていたと
いうから、当時の日本では、反軍思想を鼓吹する好まし
からざる人物と睨まれてに違いない。
日米国交が危なくなってきたので、引き揚げ勧告に
従って、夫妻はマニラに移った。まもなく日米開戦となり、
日本軍のマニラ占領となったので、夫妻は難を避けて
北ルソンの山中に隠れた。
日本軍が占領していた3年間は、事無く過ぎた。勝ち
いくさの日本軍は、正義の師として、宣撫懐柔に務め
寛容であった。
マッカーサーはフイリッピンに帰るときの配備として、
全島に亘ってゲリラを培っていたのである。ゲリラの
指導者は、バターン降伏のとき、逃れた米軍将校たち
であった。
豪州のマッカーサー司令部は、これらゲリラを鼓舞激励
するため、「I shall return]と題する雑誌を、潜水艦で必需
物資や弾薬などと一緒に陸揚げしていた。
従って比における日本軍のゲリラ狩も活発で厳しかった。
北ルソンのゲリラは最も執拗で、ジャングルに追い込まれ
ても屈しなかった。
1945年1月、米軍のルソン島への逆上陸となり情勢は
一変した。
マニラ平原で一敗地にまみれた日本軍は北ルソンの山中
に追い込まれた。土民ゲリラは後方かく乱にでる。
組織抵抗力を失った日本軍だったが、土民ゲリラを討伐
するぐらいの戦力は維持していた。
こうした情勢の中で、コヴェル夫妻の隠れ家が見つかった
のである。小型のラジオ受信機を発見、兵士たちはこれを
小型秘密通信機と見て取った。夫妻をスパイとしてその場
で二人の首を日本刀で刎ねて処刑した。まことに残虐な
行為であった。
米軍がこのあたりを占領すると、この処刑を見ていたという
土民が現われ、一切が明るみに出た。そして後日の戦犯
裁判にもつながって、残虐行為を看過黙認したとの責任
をとらされて、司令官本間雅晴中将や山下奏文大将は
処刑された。
一方、これらの分った事実は、ユタ州の留守を守っていた
娘のマーガレットに伝えられた。娘は両親の帰国を待ち
わびていた。しかし、いま突如として両親の死を知らされた。
スパイでもないのに両親を処刑した日本兵に対する怒りで
腹がちぎれるほどであった。
米軍の報告書には土民の証言がつけられていた。
両親は両手を縛られ、目隠しされて、引き据えられながらも
二人は心を合わせて、熱い祈りを捧げていたという。
マーガレットは、地上における最後の祈りで、両親はどの
ように祈られたかと思うてみた。すると、マーガレットの胸
に、「私はこの両親の娘として、私のあり方は、憎いと思う
日本人たちに憎しみを返すことではない。憎いと思う
日本人に対してこそ、両親の志をついで、イエス・キリスト
をつたえる宣教に行くことだと思った」。
日本に行くまでもない、私の考えを実践に移す道がこんな
に近いところに備えられていたか。
マーガレットは町の捕虜病院に飛んできた。事情を話した
のでソーシャル・ワーカー名義で働けるようになった。
捕虜たちが日本へ送還されるその日まで、約6ヶ月、病院
に来るのを1日も欠かしたことがなかったという。
この話はわたしの心を激しく打った。やっぱり憎しみに
終止符を打たねばならぬ。
わたしに一つ分らないのは、あの宣教師夫妻の最後の
祈りであった。どのような祈りであったのだろうか。
私はそのころ占領軍司令部に始終呼び出されていた。
この日1949年(昭和24年)12月3日で私の47歳の誕生日
だった。京都駅で乗った私は、東京の渋谷駅で下車した。
いつものの通り、ワシントン・ハイツの占領軍将校宿舎に
泊めてもらうつもりで、占領軍バスに便乗しようと渋谷駅前
の広場に出て行った。
混雑のなかで一人のアメリカ人が小冊子を配っていた。
その表紙には「私は日本の捕虜だった」と記され、米軍
1伍長の写真が載っていた。
この伍長は、1942年東京初空襲のドウーリトル爆撃隊の
16番機の爆撃手ジェイコブ・デイシェイザーであった。
米西海岸のある陸軍航空隊で、炊事当番として働いて
いた1伍長だったが、真珠湾奇襲を知って、「俺も仕返し
をしてやるぞ」と敵愾心を燃やし、やがて仕返しのために
ドウーリトル爆撃隊に参加するくだりが発端である。
募兵に応じて陸軍に入隊した。1940年であった。航空機
技術員にまわされた。
真珠湾奇襲後、危険な任務の募集があり、応募した。
フロリダ州イグリン基地で、爆撃手として超低空爆撃の
訓練をうけた。飛行機に重いダミー(模擬爆弾)を搭載して
最短距離から離陸する訓練がはじまった。1ヶ月訓練の
あとサンフランシスコに移動した。1942年(昭和17年)4月
1日、彼らの搭乗機B25は在泊中の空母ホーネットに
積み込まれた。全部で16機だった。搭乗員と整備員も
計約160人も乗り組んだ。
離岸10海里のところで「目的は東京空襲」と発表された。
4月17日夕方明日進発と告げられた。
18日朝、日本哨戒漁船に発見され、軽巡ナッシュビルが
これを撃沈したが、このため発進時刻が10時間早まった。
それまでの計画では日本本土から500海里で発進で
あったが650海里で発進することになった。
デイシェイザーの乗った16号機は午前9時半にホーネット
を発進した。午後1時には日本が見えてきた。爆撃目標は
名古屋だった。石油タンク群に爆弾を、工場群に焼夷弾
をばら撒いた。彼らの飛行機は支那大陸に向かい、
蒋介石空軍のリスイ飛行場に着陸する予定だった。
夜になって中国の海岸線に到達したが、天候が悪く何処
だか分らない。すでに14時間飛んでいる。ガソリンは
尽きた。ファロー中尉は「全員落下傘で飛び降りろ」と
叫んだ。
デイシェイザーと他の4人は日本軍の捕虜となった。南昌
に連れていかれた。翌日五人は輸送機に乗せられ、上海
の牢に入れられた。翌日東京憲兵隊に送られた。他の機
の3人も捕虜になっていた。
彼らは長崎経由で船で上海に送られた。
軍律会議で裁判のあと,判決は捕虜8人全員死刑だった。
ところがどうした風のふきまわしか、デイシェイザーを含む
五名は無期監禁に減刑され、3名が銃殺された。
操縦士のファロー中尉とハルマーク中尉と射手のスパッツ
軍曹であった。
捕虜収容所の待遇も虐待以外ではなかった。何かといえば
殴られる、蹴られる、食物は不足で半ば飢餓の状態に
おかれた。かれの心は、収容所の看守にたいする憎しみと
怨みとで一杯で耐え難いものであった。14ヵ月後仲間の
一人、バップ・メーダー中尉が栄養失調で死んでしまった。
デシェイザーは日本人が憎くてたまらなかった。
「日本人と名のつく奴、全部地球上から消えてなくなり
やがれ」と彼は呪った。
しかし憎しみがこのように絶頂に達した頃から、人間のかかる
憎しみの原因について思いめぐらすようになった。なにが
日本人をアメリカ人嫌いにさせたのか。また何が自分を
日本人嫌いにさせたのか、その原因について考え始めた。
子供のころ、このような人間同士の憎しみを、まことの
兄弟愛に変えるのが、イエス・キリストであると聞かされた
ことを思い出した。
そしてもう一度その秘けつを探り得るかどうか、聖書を読んで
みたいとの不思議な欲求が胸にこみ上げてくるのを覚えた。
彼は看守に聖書を1冊差し入れてくれるよう頼んだ。いくら
頼んでもそれは実現しなかった。けれども彼は、毎日、毎日
看守の顔を見るたびに、聖書、聖書と叫んだ。
すると1944年(昭和19年)5月下旬になって、看守の一人
が英語の聖書1冊を差し入れてくれた。
どの頁もどの頁も彼の心をとらえた。そしてそこに書いてある
すべてのことが、人の子の形をとって、天からつかわされた、
神聖な贖罪者の上にそそがれていることに気がついたので
あった。神が、神の子キリストを信ずるものには、永遠の
生命を与えると約束されていることを知って、かれは非常に
うれしかった。かれは、自分が救われ、自分の罪が赦される
ことを願った。
同年6月8日、デイシェイザーはロマ書第10章9節の言葉
を学んだ。「自分の口でイエスは手であると告白し、自分の
心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信ずる
なら、あなたは救われる」。
第2コリント5・17に「だれでもキリストと結ばれる人は、
だれでも新しく創造された者である。古いものは過ぎさった。
身よ、すべてが新しくなったのである」と記されている。
いまイエス・キリストを救い主として受け入れたデイシェイザー
は新しく造られた者であった。かれの体は相変わらず鞭で
打たれたり、食べ物の不足で極度に苦しんでいたが、神が
自分に変わった精神的な眼を与えて下さったことを発見
した。看守に対する憎しみがに慈愛へと変わっているのに
気がついた。これらの日本人は、救い主について何も
知らず、イエス・キリストが彼らのうちにいらっしゃらない
のだから、残酷であるのも当然である。
しかし今は違う。イエス・キリストに結ばれて、彼らを兄弟
として眺めることができる新たな眼を与えて下さっている。
「神様、この戦争が終った時、もし私に生きながらえること
をお許しになるなら、私をもう1度日本におつかし下さい。
多くの日本人は救い主のイエス・キリストを知らないので、
この人たちにイエス・キリストを宣べ伝えたいと思います」
やがて戦いは終った。1945年8月20日、米落下傘部隊
は北京の捕虜収容所の構内に降下して、彼らを救出した。
除隊した彼は大学に学んだ。知り合ったフローレンスと
結婚、卒業し、宣教師の資格が与えられると、妻と1児を
伴ってサン・フランシスコを出発した。いまは爆弾にに
代わる聖書を抱いて、日本に向かうのである。
そして現在、デイシェイザーは大阪市郊外で、宣教に従事
しているというのが、小冊子の物語であった。
自分も聖書を読むことにした。先日宣教師が立っていた
渋谷の同じ場所に、日本聖書協会のコルポーター(聖書
販売員)が立っていた、私は新訳聖書というのを1冊買った。
120円、文語体であった。
1ヶ月ほどたったある日、私はルカ伝の第23章に入って
いた。イエス・キリストが十字架にかかる場面である。
「かくてイエスは言いたまう、父よ、彼らを赦したまえ、その
為す処を知らざればなり」
そのとき、突然ああ分ったとうなずいた。なにが判ったのか。
あのマーガレット・コヴェルの両親の宣教師夫妻の最後の
祈りが分ったのである。
「天の父なる神様、いま日本の兵隊が私や妻を殺そうと
して、日本刀を振り上げていますが、この人たちを赦して
あげてください。この人たちはなにをしているのか
わからずにいるのです」
そしてこの祈りが応えられて、マーガレットを打ったので
ある。私は感激の涙が流れた。
私はこれが日本だったらどうだろうと思ってみた。それは
歌舞伎でやっている通りで、「魂魄この世に留まって、この
恨み晴さいでおくべきか」となる。だから子供たちは、親の
敵は不倶戴天とばかり仇討ちにでかけ、首尾よく目的を
果たせば、孝子、節婦の美談となる。これではまるで桁
が違う。
「彼らをお赦し下さいという彼らのなかに、お前も含まれて
いたのだぞ」、「かれらはなにをしているのか分らずに
いるのです」という言葉が私の胸を突き刺した。
そうか私は47年という長い年月を「何をしているのか
わからず」に過ごして来たのか。
私は神を知らなかった。神を知らないで、神から離れて
いる存在が不義であって、これを罪というのである。
聖書的にはこれを原罪と呼ぶ。英語では「ザ・シン」と
定冠詞がつく。
罪の意識が伴わなければ、イエス・キリストにある神信仰
は芽生えない。それは、キリストが十字架で血を流して
「父よ、彼らをお赦し下さい」ととりなしの祈りをして下さった
のは、この罪のあがないの為だった。これが十字架の
贖罪であり、十字架の赦しである。
私はデイシェイザーの回心手記の余白に「私はただいま、
イエス・キリストを私自身の救い主としてお受けいたし
ます。この契約の日付けは1950年(昭和25年)
2月26日」と記した。この日が私の第2の誕生日となった。


Comments
Ukulelebeginnerを読みました。私は昭和17年の空襲の爆撃手デシェーザー師の活動も渕田師の活動も存じており、前者は一時西宮に居住し、同氏宅に入ったこともあります。後者がベルリンにこられたときに、私は同市に居住しおり、そこで電話会談しました。この両者の種々の活躍を最近纏め、冊子として出版しました。「第二次世界大戦の引金を誰が、何時、どこで引いたか」、「ニュルンベルク裁判、東京裁判」両冊子も出版しまして、戦争犯罪の追求をしております。コヴェル師も気の毒な戦争犠牲者です。
Posted by: IWAMOTO,Akira | 2011.11.04 at 05:21 PM