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魅惑のスタンダード・ポップス プレミアム

BS3、 5月29日(金)、午後8時~9時
司会 井上 順、 新妻 聖子、イクスピアリで録画

初めは聖子のコーヒー・ルンバ
ワン・テーマ・メドレー10連発は 「ポップス宇宙の旅」
○太陽は燃えている 布施 明
○朝日のあたる家 速水けんたろう
○ミスター・ムーンライト 中川 晃教
○ペーパー・ムーン  シルビア・グラブ
○ブルー・ムーン  今 陽子
 1969年月着陸のアームストロング船長の子供たち
 へのメッセージ「今、サンタ・クロースとすれ違ったよ」。
○アクロス・ザ・ユニバース Rina
○宇宙のフアンタジー Rinaと速水
○スターダスト 布施
○輝く星座 Aquarious 今 陽子
○レット・ザ・サンシャイン・イン 全員

ポップスの伝説では飯田久彦 登場、ルイジアナ・ママで
19歳デビュー、坂本九ちゃんの同級生。ロカビリー歌手
からデイレクターになった。ピンク・レデイ、小泉今日子等
のデイレクターをした。
○ルイジアナ・ママ ○小さな悪魔 飯田、シルビア、Rina
○悲しき街角 飯田、中川

スーパー・スター・メドレーはピーター、ポール、マリー
PPM、男2人、女1人の3人組を取り上げた。
○パフPuff  シルビア
○悲しみのジェット・プレーン  シルビア、中川
○サン・フランシスコ湾ブルース Rina,中川、シルビア
 途中、中川とシルビアが小さなトランペットを吹く。
○500マイルも離れて 500Miles 布施、今、速水
○虹とともに消えた恋  今 陽子
○朝の雨 Rinaが60年代風衣裳で、ギターを演奏しながら
 歌う。
○ロック王国 中川
終わりは○花はどこへ行った 聖子、布施、中川

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GM 退職者の医療給付と年金

退職者への年金や医療給付などの「レガシーコスト
(Legacy Cost過去の遺産)」が、GMの経営を圧迫した。
こうした負担は、GMの債務超過額、862億ドル、の
約6割を占めるという。

今回のUAWとGMの合意によると、医療保険を運営する
UAWは、GMが拠出すべき債務の1部をGMの株式として
受け取る。
医療費を受給者に支払うには、株を現金にしなければ
ならない。だが再建後のGMは非上場となるため、市場
での換金はすぐには難しい。基金が今後うまく存続
できるかどうかは不透明。

現役の従業員の医療費は誰が負担するのか、誰が
給付するのかよく判らない。

年金については、受給額がカットされた上で、破綻した
企業の年金を保証する政府系の「年金給付保証公社
(PBGC)」に移管される公算が大きい。

しかし、00年前半以降、鉄鋼大手ベスレヘム・スチール
やユナイテッド航空、デルタ航空など巨大企業が相次ぎ
破綻。巨額の年金債務を押し付けられたPBGCも、335
億ドルの債務超過に陥っている。
GMの年金債務をさらに引き受けることになれば、PBGC
が立ち行かなくなり、最終的には政府が救済に乗り出さ
ざるを得ないのではないかと、米国内ではささやかれて
いると。

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GM 破綻強まる

GMは債権者との債務削減交渉が、当初設定した26日
深夜の期限内に纏まらなかったため、交渉を打ち切ると
27日発表した。

GMは無担保のGM社債を保有する債権者に対し、
計270億ドル(約2兆5600億円)のうち約9割を棒引き
してもらい、代わりに全株式の10%にあたるGM株を
割り当てる交渉を続けてきた。
数千にのぼる個人を含む債権者との交渉は、成立に
必要な債権者の9割の同意には程遠い賛同者しか
集まらなかった。このため期間の延長や条件の変更を
行うことはせず、交渉を打ち切ることになった。

米政府に求められた大幅な債務削減がほぼ不可能に
なったため、破産法の申請は避けられない見通しだ。

機関投資家など大口債権者の中には、クレジット・
デフオールト・スワップ(CDS)と呼ばれる金融商品の
保有者も多いとされる。債権が焦げ付いた場合に損失
が補償される「保険」で、債務削減案に同意するより、
破産法を申請した方が、回収率が高くなるケースもある。

6月上旬に予定していた部品会社への支払いを、
破産法申請前の今月28日に前倒しして、支払いを巡る
混乱を最小限に抑えることも取締役会で検討する模様。

ただ数千に上る債権者の中には、老後の蓄えなどと
してGM社債を買った個人投資家も多い。こうした小口
債権者の多くはCDSを保有しておらず、GMが破産法を
申請すれば債権の回収はほとんど見込めない。
UAWに比べた条件の悪さや、個人投資家の切捨て
など、GM再建を巡る、政府やGMの対応に批判がでる
可能性もある。

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海経5・6分隊会 5月27日 09

於 如水会館、出席者 1号 阿部文弥、2号 高橋信雄
(2号 穀田博 出席通知あったが無断欠席)
3号 竹田、和田、飯田、高橋、河野、河田、加藤

阿部さん近況と挨拶。竹田より5・6分隊写真集経過報告、
尚最終チェック必要あり、6月24日または25日、
如水会館13時14階ラウンジで調整。7月10日13時
同ラウンジにて最終決定。
次回5・6分隊会は12月8日、12時 於如水会館

河田より、「36期最後の文集」編集責任者、宮本三夫が
脳大動脈流乖離で倒れ、現在杏林病院、仙川、に
入院中との報告があった。
同じ調布市に住む河田がとりあえずの業務連絡に当る
など忙しい毎日となった。

○竹田
吉岡さんより高木分隊監事の資料送付越あり、写真集
末尾資料として添付する。高木さんが伊良湖(食品補給艦)
の主計長として赴任時の准士官以上と一般主計科員に
対する訓示の写し。日本海軍には食品補給艦が2隻あり、
間宮は旧式艦、伊良湖は1万トン級の新型艦で、豆腐、
アイスクリーム、コンニャクなど製造工場をもっていた。
米はこの種補給艦を当時50隻もっており、そのうち30隻
は太平洋地域にあり、日本とは大違い。
両艦とも19年マニラ近海で攻撃され沈没。

五分隊3号大藤の父親は間宮の艦長であり、一時空母の
艦長も兼任していた。その後少将になった。

○和田
文集の表題は「かちどきのたもと」とか「かもめ」など単純な
ものにして、副題を入れればよいのでは。

○阿部
34期66名のうち、現在員は今は11~12名となり、
一人も残っていない分隊もある。
候補生は実習を受ける為、必ず戦艦、空母、巡洋艦に
乗った。海兵6名、海機2名、海経2名の割り振りだった。
海経トップの杉山は大淀、坂本は大和だった。大和の場合
横須賀・呉からシンガポールだった。当時連合艦隊旗艦は
大淀、後に大和。

○和田
大淀を見たのは、36期が横須賀で戦艦山城で乗艦実習
をしたとき。あまりのスマートさにびっくりした。

○高橋信
赴任先は第2鹿屋空。
終戦後35期は原隊復帰し、レイテ、マニラ、コロ島、台湾
などへの引き揚げ業務に従事した。
○飯田
36期でも奥野昭三と高嶋康夫が海経卒資格で復員船に
乗った。村田は機雷処理に行った。37期からも2名引揚げ
業務に参加した。
昭和20年代は密輸取り締まりに危険があり税関吏は一時
拳銃を携帯していた。
小生も射撃訓練を受けたことがある。
又戦災がひどかつたフィリピン中国の船員は悪い感情を
持つ人が多くて大変だった。

はがき回答による動静報告
○高橋信雄
家庭菜園をやり、麻雀を楽しんでいる。
○坪井 経
夫婦とも医者通い
○詫間 広
電話を戴き感謝
○河野啓二
36期サイトの高木寛の時事放談が絶好調。高木の有料
介護老人ホームは三浦市油壺の「ソノラス・コート油壺」
だった。
36期最後の文集には応募しなかった。
○高橋元清
5・6分隊会会誌作成、骨折り感謝
○飯田和夫
写真集ご苦労さま。90歳目標だがどうなることか。
○地引正雄
脚,腰は良いのだが、首から上の劣化甚だし。
○和田宏
白内障手術にて入院、電話で出席通知。
○阿部文弥
草案修正書き込みをした。大事なことは
1.36期が主体で編集すること。
2.はしがきも36期が担当すること。
○宮崎英雄
肺がん手術後9年、順調に回復。 宇佐空での爆撃や呉市
自宅空襲により経校の資料が無くなった。今回の写真集
が65年前を偲ぶ縁になる。
○吉岡博之
築地の校舎を知る生存任官者も現在106名になった。36期
を入れて250名前後だ。
○高坂信一
老妻手術入院、家事雑多、痛感内助、省力化努力中
○加藤昭三
膝の痛みは年齢か。
○福間 喬
老化との闘いです。
○宮村光重
ここのところ、肩、腕、肘の骨に痛みがでて、しゃくにさわるも
思うように動きとれず。
○安井 けい
狭い庭に花が一斉に咲き楽しい。
○河田潤
「36期最後の文集」の編集過程キーマンだった宮本三夫君が
急病入院,小生がとりあえず、業務連絡に当っている。

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逗子 街角おんがく会 5月23日(土) 於キナ

阿部みどりさんのキーボードで主にリクエストを中心に
歌う。「日本の抒情歌」に載っているものばかり。

○夏は来ぬ ○琵琶湖周航の歌 ○紅萌える丘の花
○ああ玉杯に花うけて ○美しき天然 ○ゆりかご
○揺籃のうた ○山小屋の灯 ○埴生の宿
○ハッピー・バースデイ 初参加の中年婦人のため。
○からたちの花 ○月見草の花 ○出船 
○岬めぐり ○青い山脈

歌声喫茶荒らしの中年夫婦がいて初めから終わりまで
傍若無人。男は「顔と声がよいのを自慢している」という。
うるさくて不快故、来月から当分参加しない。

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ソノス・ハンドベル・アンサンブル

5月22日BS3、13時ー14時演奏を視聴する。プロの
ハンド・ベルの演奏を聴くのは初めて。
横浜市・横浜みなとみらいホールで録画。
指揮 ジェームス・メレデイス

曲によっては一部が毛玉の棒で鐘を叩く。フルートが
入る演奏もある。革ばりの笊状のドラムを使う曲もある。

「調和の霊感」   ヴィヴァルデイ
「アヴェ・マリア」   グノー
「ハレルヤ・コーラス」  ヘンデル
「クルミ割り人形から アラビアの踊り」チャイコウスキー
「トレパーク 」     チャイコウスキー
「ポギーとベスから サマー・タイム」 ガーシュイン
「浜辺の歌」  成田為三
「金毘羅船船~五木の子守唄~黒田節」
「甘き喜びのうちに」    バッハ
「グリーン・スリーブス」  イングランド民謡
「ライナスとルーシー」   ガラルデイ
「スリー・キング・スウイング」  ポプキンス
「コヴェントリー・キャロル」 イングランド民謡
「そりすべり」 アンダソン

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GM 販売店削減 破産法申請か

GMが販売店の大幅な削減に踏み出した。収益力を
高めるためには不可欠だが、販売店側の反発は強い。
法的拘束力のある販売店契約を打ち切るため、GMが
米連邦破産法の適用を申請する可能性もでてきた。

GMは米国内にある5969ある販売店のうち、販売台数
の少ない不振店約1100店に対し、10年10月までに
契約を打ち切る通告を始めた。さらに同年末までに、
約3600店に削減する方針だ。

「500近くの販売店が年平均35台程度しか売って
いない」。

同様に販売店改革を急ぐ、クライスラーの資料によれば、
トヨタ自動車は08年に米国で1店あたり1292台、
ホンダは1219台売った。
しかしクライスラーは平均303台。販売店数がトヨタの
5倍近いGMも500台に満たない計算だ。

米メーカー再建には、労務費や債務の削減とともに、
販売店網の再構築が不可欠になっている。しかし
販売店側は早くも反発している。全米自動車デイーラー
協会は「6万3千人の雇用に影響を与える」と指摘。
「いい時も悪い時も、何世代にもわたって、GMと誠実に
つきあってきた家族経営の多くのデイーラーには何の
落ち度もない」と主張した。

メーカーと販売店との契約は各州法で守られている。
GMにとって前例となるのがクライスラーだ。
連邦破産法の適用を申請すると、債務者への訴訟や
契約は、原則引き継がれないため、販売店契約も破棄
しやすくなる。
クライスラーは破産法を活用し、米国内にある約3200店
のうち、25%に当る、789店と契約を打ち切る方針を
打ち出した。
破産法の申請なしには、契約打ち切りを強行するのは
難しいと見られている。

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坂井三郎と零戦

PHP新書「坂井三郎と零戦」三野正洋著、2008年7月
29日刊を読む。
坂井が著した「坂井三郎空戦記録」、「大空のサムライ」
は「SAMURAI」として英語、さらにフランス語、スペイン語、
フインランド語で出版され、その部数は100万部を
超えている。とくに英語版はアメリカ以外に、イギリス、
カナダ、オーストラリア、フイリピンで売られたから、合計
では200万部に達したと言われる。

零戦の制式名称は、三菱零式艦上戦闘機であり、形式
としてはA6Mである。このあとに改良のタイプ名が続き、
21型ならA6M2となる。 Aは戦闘機(艦上戦闘機)、Mは
開発が三菱、6はこの条件のもとでの6番目と言う意味。
その名は略して零戦であるが、正式な読み方としては
レイセンが正しい。しかし当時も今も人々は「ゼロ戦」と
呼んだ。

日本海軍戦闘機隊は、昭和12年の日中戦争の本格化
に伴い、中国大陸に進出し、20年の8月まで戦い
続ける。零戦の実戦登場は15年9月からである。
したがって丁度5年間となり、この間多くの操縦士が、
あるときは勝利を、ある時は敗北を経験した。
この結果多くのエースACEを生み出した。エースとは、
第一次世界大戦時から使われだした言葉で、5機以上
敵機を撃墜した戦闘機パイロットを指す。
日本の陸海軍は、もともと個人の撃墜数をきちんと記録し
それなりに評価する制度をもっていなかった。

それでも太平洋戦争が激化すると、国民の士気向上の
目的もあって、多数の敵機撃墜者として表彰するように
なった。これを授かったものが戦死した場合、2階級進級
させるのが普通である。戦死したあと昇進させても仕方が
ない気もするが、恩給などで大きな差が出てくる。
さてエースの数については、陸海軍を合わせると、少なく
とも200名を超えていたと思われる。
下記の表は5位までは本人の手記など、以後は戦史
研究家の数値。

氏名   最終の階級 撃墜数 生死 使用戦闘機
西沢広義   中尉 150以上  死  零戦
岩本徹三   中尉 202 生 96艦戦、零戦、紫電改
杉田庄一   少尉  70 死 零戦、紫電改
坂井三郎   中尉  64 生 96艦戦、零戦
奥村武雄   曹長  50 死 零戦
太田敏雄   曹長  34 死 零戦
杉野計雄   曹長  32 生 零戦
石井静夫   曹長  29 死 96艦戦、零戦
武藤金義   中尉  28 死 96艦戦、零戦、紫電改
笹井淳一   少佐  27、 54(手記) 死 零戦

ただし、撃墜数のみが優れたパイロットの基準かと
問われると、決してそうでないことが坂井の記述から
はっきりする。さらにもっとも重要なことは、坂井の手記
こそが、日本海軍戦闘機隊とそのパイロットたちの活躍
ぶりを、なににも増して生々しく、かつ生き生きと後世に
伝えていることは事実なのである。

○坂井の戦歴
多くの努力の末、霞ヶ浦の訓練部隊から巣立った坂井
たちは、昭和13年の初夏九州佐伯の基地で3ヶ月間
特訓を受ける。
これは戦闘機操縦者としての実戦に向けたものだった。
編隊飛行は勿論、空中戦、そして地上攻撃まで徹底的
に鍛えられていった。

5人の同期生とともにまず台湾の高雄に配属となる。
続いて中国南部、九江に展開していた第12航空隊に
送られた。
中国戦線ではよく整備された、十分な数の戦闘機が
用意され、若手のパイロットはベテランの指導のもと
経験を積んで行くことが可能だった。空中戦で敵機を
攻撃する場合、後方の援護も確実に実施されていた。

昭和13年10月、坂井は九江から漢口に出撃し、
初めて数機を撃墜、エースへの道を歩みだした。
その後漢口に駐留、周辺で中国軍と戦い続けた。
昭和15年夏、機種改変のため帰国、三菱96艦戦
から零戦になった。
中国大陸における坂井らの戦場は、宜昌、南昌、
海南島、成都、重慶に広がった。坂井が中国にいた
のは約2年半、この間単独でポリカルポフI15を一機、
I16を二機、ツポレフSB2中型爆撃機一機、協同で
一機を撃墜した。このころ飛行時間は千時間に達した。

昭和16年秋、坂井は上海経由で高雄に戻り、新しく
完成した台南基地に配属された。高雄の戦闘機隊は
台南航空隊となり、その戦力は戦闘機、偵察機合わせ
100機という強大なものとなる。この台南空こそ当時に
あって世界最強の名にふさわしいと思われる。そして
昭和16年12月8日、太平洋戦争が始まる。

開戦後、台南空はもっぱらフイリピンのアメリカ軍基地
を攻撃するが、相手はすべて陸軍機だった。
これらの基地は
ルソン島中部のクラーク・フイールド
"       のイパ
マニラ近郊のニコラス・フイールド  などである。
台湾南部から、これらの基地までの距離は800-900
キロあり、零戦でなければとうてい飛行は不可能だった。
フイリピンのアメリカ軍機の大半が破壊されたことにより、
台南空はスルー諸島のホロ基地(ボルネオ島の北東
200キロ、フイリピンの南50キロにある)に移動した。
台南から飛行距離2,200キロに達した。
その後坂井らは、ボルネオ、タラカンに進出、バリクパパン、
スラバヤなどで戦うが、オランダ軍も敵となった。さらに
このあとバリ島にまで進出したが、インドネシアの戦いは
一段落する。
昭和17年3月、日本軍はこの地帯のすべてを手中に
おさめた。

バリ島に駐留していた時、3月12日、山下正雄少佐が
新郷大尉の後任として内地から到着、新飛行隊長に
なったことを告げた。内地帰還の噂がここではっきりした。
帰還者の名が山下少佐から発表されたのだ。
帰還組は約半数で名目は東京防衛ということであったが、
実はこの頃すでに、ミッドウエー攻略の計画が進めらて
いて、帰還組みはこの作戦に転用されるのであった。

先兵として活躍してきた台南空は、この時点で戦力の
再編成を行い、4月中旬ラバウルに到着した。日本軍は
17年1月23日ラバウル上陸に成功していた。

ラバウル基地は活火山、花吹き山の麓に作られた二つの
飛行場、港湾施設からなっている。この基地はトラック島
とともに、海外における日本海軍最大の拠点へと成長
する。たしかにニューブリテン島は、南太平洋全域に睨み
を効かせ、オーストラリアにたいする障壁として、絶好の
位置にあった。最盛期ここには300機に達する陸海軍機
数十隻の艦船、数百門の対空機器がそろい、強力な要塞
になった。

ニューギニヤ・ラエに前進基地が作られ、ここから、約4ヶ月
ニューギニア南岸ポート・モレスビー地区で、アメリカ陸軍機、
オーストラリア空軍機と闘っている。
この間、何名かの犠牲をだしてはいるものの、日本側の
常勝の期間でもあり、比較的楽な戦闘であった。坂井の
撃墜数は順調にのび、一月あたり少なくとも5機を数えた。
これは他の同僚も同じであって、零戦とそのパイロットが
もっとも輝いていた期間と言えよう。
空戦の模様は「大空のサムライ」に詳しい。

日本海軍のポートモレスビー攻略作戦が米艦隊に襲撃され、
5月7日珊瑚海海戦が発生した。ポートモレスビー攻略は
中止となった。
ミッドウエイ海戦は6月5日だった。

7月末からは落としても落としても、ポート・モレスビー
地区の敵戦闘機、爆撃機は増えるばかりで、ラエ基地も
さんざん爆撃に曝された。陸軍のラエ南方のブナ上陸
作戦も失敗、苦戦で零戦隊の支援もあまり効果あがらず、
8月3日ラエにある零戦隊の半数がラバウルに異動した。
坂井たちがラバウルに引き揚げたころから、ラエ基地は
殆ど使われなくなった。残存の飛行機も、もはやいくらも
ない。

ニューギニア東端ラビに敵は新基地を建設中であったが、
この敵戦闘機隊を撃滅しようと、8月7日、精鋭ばかり、
よりすぐった18機の零戦がラバウルの離陸滑走路に
並んでいた。
ところが急に「出発待て」という命令がとんできた。事態が
判明した。「けさ、5時20分、優勢な敵の攻略部隊が、
ソロモン群島南端ガダルカナル島のルンガに上陸した。
同時にツラギにあった横浜航空隊の偵察飛行艇は全滅
した。敵は目下盛んに上陸中である。
我々は、敵の攻略部隊を攻撃に行く中攻隊を援護して、
いまからガダルカナルに行くことになった。」

ラバウルからガダルカナルまでの距離をはかってみた。
560浬(東京から屋久島の距離)もある。
日華事変以来、坂井の経験で一番遠かったのが450浬
だった。それでさえ、なかなか困難だったのに、今日は
それより110浬も遠い。往復にすれば220浬遠い。
これは大変なことになった。我々はこの大変な距離を、
敵の上陸地点まで飛んで、一合戦やって、同じ距離を
ラバウルまで引き揚げねばならぬのだ。

そうこうしている間に、上の飛行場(ラバウルの高台にある
ブナカナウ飛行場のことをそう呼んでいた)から、27機の
爆撃機が発進した。
零戦隊の指揮官は中島少佐、2中隊河合大尉、3中隊
笹井中尉という6機ずつの編成となり、機数は18機、坂井
は3中隊の第2小隊長として、2番機柿本2飛曹、3番機
羽藤3飛曹として出撃。

上陸作業中の敵の船団攻撃なのに、魚雷でなく爆弾が
1式陸攻の腹に積んであるのに不審をいだき、たいした
戦果は期待できそもないなと、坂井は思った。
侵攻高度は4千メートル、すぐ隣のニューアイルランド島
を飛び越えて、ラバウルから120海里の地点で、一つの
小さな珊瑚礁が目についた。馬蹄形をしていて美しい
コバルト色の島、航路図には、グリーン礁とあるが、この
印象が後に坂井の生命を助けることになろうとは。

ルッセル島の上空を通過し、ガダルカナルのルンガまで
あと50海里である。ルンガ上空では、制空隊がすでに
空戦を始めていた。敵、味方入り乱れての混戦だ。
眼下の船団は7,80隻はいる。上陸用舟艇の白い筋が
沢山見える。
その時突然太陽の中からこぼれ落ちるように7,8機の
敵機が降ってきた。母艦から飛んできた、グラマン・ワイルド・
キャット、F4Fは零戦に目もくれず,まっしぐらに爆撃隊に
襲いかかっていく。
坂井は急上昇にうつり、グラマンの鼻面を押さえるように、
20ミリと7.7ミリを連射しながら攻撃をかけた。これは
弾丸を当てるというより、零戦がついているぞという脅威を
敵に与えるためだった。
爆撃隊は絶好の地点に達し、いっせいに爆弾を投下した。
水煙がおさまった海面を凝視したが、火災を起している
船は1隻だけだった。これだけの遠距離を、これだけ苦労
して、これだけ意気込んでやってきて、このみじめな戦果、
これが雷撃だったならおそらく27機が1隻ずつの敵船を
沈められたのに。船団攻撃が目的なのになぜ爆弾を積んで
きたのだろう。なにもあんなに足許から鳥が飛び立つように
急がなくてよかったではないか。魚雷に積み替えて出撃
したらよかったのではないか。なぜこんなお粗末な作戦
指導をしたのか。
      
爆撃隊を送り狼(敵戦闘機)の危険圏外まで送ってから
零戦隊だけ引き返し、敵戦闘機と一戦交えようという計画
があった。ルッセル島を過ぎれば、送り狼の危険はもう
大丈夫と、かねての計画通り引き返しを決意した。

時に午後1時30分、我々零戦隊17機(出発時1機
エンジン不調のため引き返し不参加)はルンガ泊地の敵
船団の上空に殺到した。いよいよ宿敵米海軍の新鋭機
グラマンとの一騎打ちだ。その時またしても太陽を背に
してグラマンが降ってきた。坂井がいち早く気づき、全速
で最先頭にでた。急上昇しながら反撃した。ところが
どうしたというのか、敵も一撃をかけただけでさっと
急降下で下へ散っていってしまった。
彼らが、いわばホームグラウンドで、しかも有利な態勢に
ありながら、瞬間的なたった一撃だけで下へ散っていった
ことは我々には解せないことだった。(零戦に対する
新戦法をこの時から使い始めたのか)

列機の柿本、羽藤を見失っていたので探しまわって
いたが、高度4,5百メートルのところで、零戦2機が
グラマンに追い回されているのが見えた。その時の私の
高度は4千メートル、グルグル回りの空戦をやっていた
のは4、5百メートルのところだったので、一気に3千5百
メートルを急降下したわけであった。
1機の零戦が敵の射程圏内にはいるという瞬間、20ミリ
と7.7ミリをグラマンの頭めがけて浴びせかけた。
600メートルも離れたところから打ち込んだので、敵を
落とすというより、味方の危急を救うために撃ち込んだ。
ところが、そのグラマンは2機の零戦を追い回す強者だけ
あって、この一撃にすぐ感づいて、パッと右旋回に切り
替え射弾を回避、坂井の腹の下に食い込んできた。

その瞬間これは手強いぞと感じて、ひやりとした。
これまで相手にしてきた敵の戦法とは違っており、一騎
打ちに入らぬ前に、すでに敵の技量が相当なもであること
を悟った。

敵はぐんぐん私の腹の下に入ろうと突き上げてくる。私が
いつもとる戦法を敵がとっている。エンジンをしぼって、
のめり気味のスピードを制御しながら、得意の左旋回に
切り替える隙を見出した。そして思い切り操縦桿をひいて、
できるかぎり旋回半径の小さい私独特の旋回方法で、
2旋、3旋と旋回を続けた。
私の飛行機はまだ急降下の余力がついていて、旋回戦
にもっていくには、少しスピードがつきすぎていたのだが、
2回、3回と回るうちに、やっと絶好の横の巴戦に入る
態勢になった。

そこで、しばらくは、お互いに正反対に位置しながら、
左垂直旋回で単機巴戦に入った。左垂直旋回だから、
左翼はほとんど垂直に地面を指し、右翼はこれも垂直に
空を指している。
敵から目を離さないためには、自分の首の骨を折れる
ほどうしろに折り曲げて、その上向いた顔のうわまぶた
ぎりぎりのところに、敵機を捉えまえていなければ
ならない。
この状態を何十秒も長くつづけることは、ひどい苦痛だ。
ただでさえ荷重のために脳貧血を起しそうになるのに、
心臓の圧力が荷重にまけて、血液が下に流れ、両足が
膨れてくるのだ。これは巴戦の場合、常に起こる苦痛で
あり、しかも、敵も同じように苦しいのだ。
その苦しさの我慢くらべのうちに、自分のうわまぶた越に
チラッとでも敵機を捕まえていれば、この空戦はもうこちら
の勝ちである。

しかしたいていのものは、この苦しい姿勢と、視界に
入ってこない敵とに、精神的にも、肉体的にも耐えられ
なくなって、あきらめて他の操作にうつる。その瞬間に
敵に喰われるのだ。
私は頑張った。5旋回目のとき、チラチラうわまぶたの端
に見えていた敵が、急にすーっと前にのめってきた。
しめた・・我勝てり。そう思った瞬間、敵は急に機首を
下げた。急に速力をつけ、斜めの宙返りで引き離そう
とした。これが彼の負ける一瞬だった。この一瞬に運命
は決した。完全に敵を捕捉しながら、当の相手以外の
敵がいないか、素早く周囲を見回した。敵の気配は
ない。照準器いっぱいに当の相手を捉えているのだが、
撃たない。 よし、ここでひとつグラマンの性能をためして
やれと思いたった。
撃たずにじっと敵の真後ろに食い下がっていく。

ぐんぐん斜めの宙返りで敵グラマンを追いながら、時には
上方、ときには下方にくっついて敵を脅かし続けながら、
私は観察を続けた。そのうち、完全に敵の真後ろ50
メートル位に接近、追尾の姿勢に入った。敵は疲れ
はてたのか、やや緩降下で直線飛行に移った。私はまだ
一発も撃たないのに敵は疲れてしまったらしい。真後ろ
50メートルの距離から、20ミリはもったいないと思い、
7.7ミリだけにきりかえた。敵の操縦席を照準器の十字
線の真ん中に入れて発射した。200発ほど撃ち込んだ。
全弾が敵機を補足した。それなのに敵機は落ちる気配が
ない。さすが敵の防弾防火設備はすばらしい。
敵をよく観察しようと真上に飛びあがった時、グラマンの
スピードが急に落ち始めた。たぶん被弾していたエンジン
が、いまになって具合が悪くなったのだろう。

落ち着いた私は風防を開いて敵の操縦員の顔を見た。
向こうも風防をあけている。たぶん落下傘降下をするつもり
なんだろう。目と目がぴたりと合った。顔がはっきり見える。
私より7,8歳くらい年上だ。敵の機体には無数の穴があき、
方向舵が破れ障子のようになっている。彼は右肩をやられ
ている。服の右肩が血で真っ赤だ。
一瞬私はなにか「憐れ」なものがぐっと胸にきた。敵が憐れ
なのではない。なんと説明していいか判らないけれど、
それはたぶんお互いが憐れなのではなかろうか。それに
私自身で撃った弾丸で血をながしている人間を初めて見た
ことだ。
これが戦争というものだ。与えられた任務を果たさねば
ならない。
僅か50メートルの距離で直角に背中を曝した敵機。私は
操縦席は狙わず、エンジンの先端を狙って、20ミリを
5,6発、ダダダっと撃った。命中した瞬間、彼は落下傘
を背負ったまま、空中に飛び出した。

列機2機を見つけ。ふたたび空戦場に戻った。この日17機
の零戦隊は、敵機約77機と闘って、その36機を叩き
落とした。しかし、還らざる零戦は2機だった。その2機の
最期を見たものは一人もいなかった。

我々3機は全速上昇した。高度2千メートル、断雲の間を
抜けて輝くばかりの紺碧の上空に出た瞬間、風防に音がして
5センチくらいの大きな穴があいた。はっと思って左側に目を
移すと、複座機のSBD(急降下爆撃機ドーントレス)1機が
チラっと見えた。私はまっしぐらに敵にむかって突っかけた。
すぐに敵の後上方に回りこんだ。敵味方が互いに急降下
しながら断雲をつきぬけると、後上方から20ミリと7.7ミリ
の一連射をあびせた。SBDは錐揉みになって落ちていった。

私はまた高度を上げ、列機をそろえて、笹井中隊が行ったと
思われる方向に飛んだ。高度4千メートルまで上昇した時、
遥か前方に八つの点を認めた。約5,6千メートルまで
近寄ったとき、この八つの点は四つ四つの2組の編隊に
分かれている。これは敵の戦闘機に違いないと思った。
(いままでの疲れがでたのか、坂井はここで初めて判断
の過ちをおかした)

坂井はモレスビーの空戦でも編隊を組んだ敵機を2機ずつ
まとめて落とした経験がある。敵は後ろから私が接近して
いるのに、敵の編隊は全然形がくずれない。
60メートルと肉薄して一撃をかけようとした瞬間「あっ
しまった」と思わず叫んだ。敵はSBD艦上爆撃機ドーント
レスの編隊だったのだ。後部の銃座各2挺、8機あわせて
16挺の機銃が私に向けてピタリと擬せられていた。
私ともあろうものが何たる迂闊。全速をかけて追ってきた
のだからいまさらどうしようもない。瞬間私は20ミリと7.7
ミリの発射とってを握り締めて、突っ込んでいった。
そのとたん敵8機16挺の2連装機銃もいっせいに火を
吐いた。彼我の距離は20メートルもない。敵弾が当って
いる。同時に敵の2機がいっぺんにパーと火炎を吹きだした。
私の飛行機も衝撃を感じた。同時に私は野球のバットで頭を
一撃されたような感じがして、意識が遠くなって楽な気持ち
になっていった。

私は無意識に操縦桿をぐっと前に押しやった。何秒かの後
激しい風圧を感じて、ふと目がさめた。風圧は飛行機が
墜落しているためのようだが、私にはよく分らなかった。ただ
朦朧たる意識の底で考えたことは、とうとう俺もいま戦死か。
戦死とはこんなものか。そのとき、「なんだ、三郎、お前は
そのくらいの傷で死ぬのか、意気地なし」母の声であった。
意識がはっきりしてきた。飛行機はものすごい勢いで落下
しているらしい。
目をあけてみた。火事場のように真っ赤だ。飛行機の姿勢が
分らないまま、グーっと操縦桿を引っ張った。すると操縦席が
ガタンと落ちて姿勢が低くなったためか、急に風圧が減じた。
それとともに、目もやられたか、目から血が出ているんだな
とようやく気がついた。

飛行機の翼端を見ようとしたが、見えない。それでも無意識
のうちに機を水平にして左手でエンジンを増速しようと思った。
ところが、左手がスロットル・レバーを掴んでいない。ダラリと
している。鉛のように重い。ぜんぜん痛くはないが重い。
左足も動かない。そうか頭をやられ、目をやられ、左手も
左足もやられたのか。そう思いながら、まがりなりにも操縦桿
だけで水平飛行に移していった。

目をやられているためか、涙が溢れるようにでてくる。その涙
で血が洗い流されるためか、少し目がみえるような気がする。
高度計を見るのだが全然見えない。朦朧たる意識と霞む目で
下を見ると、黒い大きなものが翼の下を流れていく。
それは敵の輸送船団だった。高度は100メートルくらいと
考えた。下からガンガン撃たれている。
これではラバウルはおろか一番近いブカだって帰れやしない。
心がだんだん自爆ということに傾いていった。しかし、敵機が
こないということは俺に生きろということかもしれない。

操縦桿から手を離して、飛行帽のうえから頭をなでてみた。
指が飛行帽の裂け目に入っていった。飛行帽の下は血で
ぬるぬるしていた。これは相当やられている、それにしては
意識がはっきりしているのは変だな。
エンジンだけは調子よく回っている。ガソリンの臭いはしない
から、燃料タンクも無事らしい。

すると今度はからだのことが気になりだした。頭の傷から
ながれでる血が、飛行帽の内側を伝わって首筋にたまり
豆腐のようにかたまっている。顔は丸く膨れあがっている。
無数の破片が突き刺さっているのだろう。このままでは
出血多量の死は目に見えている。自爆するにしても助かる
にしても、ともかく出血を止めなくては。

右の目がとくに痛くて左より見えない感じだ。左の目だけは
助けなくてはとポケットから三角布を引っ張り出し、
一生懸命左の目を拭いた。自分の機の翼端がボンヤリ
ながら見えるようになった。今度は頭の血を止める工夫を
考えた。4枚の三角布は全部飛ばしてしまった。マフラーを
ナイフで切る。あと1回分を残してこれも飛ばしてしまった。
右手で押さえなくても止血できるか考えているうちに、
飛行帽の内面と自分の傷とのあいだに、この布を押し
込んで圧迫したら血が止まりはしないかということだった。

しかしこの操作は相当時間を要すると考えた。まず操縦桿を
離し右足でそれを上手に巻き込み、それから右手でスロットル・
レバーを全開にして、まきこんだ右足で操縦桿をグっと引いて
見た。機を絶えず上昇の姿勢にしておかないと、海面に激突
する恐れがある。
自分の感じでだいたい7,8百メートルの高度が取れたと
思ったころ、風圧を避けるため頭を思い切り座席のなかに
突っ込んだ。素早く最後のマフラーの一片を右股の下から
取り出し徐々にこめかみのあたりから飛行帽のなかに
押しこんでやった。そのあいだ、外は全然見ていないし、
方向舵を操作していない。機体がどんなに動揺しても布切れ
を押し込むことに専念した。布切れの端がこめかみを通って
一気にグっと傷口のほうに突き進んだ。それがうまくいって、
その時を境に血が止まってもう流れてこない。
その安心感のためか、今度は何となく眠気をもよおしてきた。

ついウトウトする。そして何十秒おきかにはっとする。必死に
なって睡魔と闘っているつもりなのだが、いつのまにか
操縦席からお尻が離れて、からだがフワーっと浮き上がって
いる。そのため肩バンドにギューっと重量がかかってきて、
その圧力ではっと目が覚める。
見ると飛行機は完全に背面になって飛んでいる。眠気が
一瞬に消えてすぐ操縦桿を左へいっぱいに倒して、飛行機
をもとの姿勢に直す。
眠気は激しくなるばかりで、頬や頭を殴っても駄目。
これではブカまでも還れない。勿論俺は海に落ちるだろう。
どうせ死ぬなら自爆した方が良い。自爆に決めた。引き返し
ガダルカナと思われる方向に機首を向けしばらく飛んだ。
ところが、はっと気がつくと、もうぜんぜん眠くない。
不思議だ。この分なら還れるかもしれないぞ。また元来た
方向に旋回した。そして2,3分飛んだろうか。またもや
どうにも耐えれなく眠くなってくる。やはり駄目だ、自爆だ。
私はふたたびガダルカナルのほうへ引き返しはじめた。
ふと気がつくとまたしても全然眠くない自分を発見した。
こんなことを五,6回も繰り返しているうちに、だんだん冷静に
ものを考えることができるようになった。

自爆する気持ちで引き返すと、眠くない、というのは、自分
では意識していなくても、やはり命が惜しいのだ。生命を
守る本能が最後の力をだして闘ってくれるのだ。
それなら、これから何時間かかるかわからないが、ラバウル
まで、それができなければ、せめてブカまで必死になって
頑張ったら還れないこともなさそうだ。死ぬと決めると、目が
さめる。そうだ俺はラバウルで死のう。

航空図を膝の下からひっぱりだして見た。それは血で真赤に
染まっている。つばを地図の上に吐きつけて、飛行服で
こすって、やっと血糊を拭い、はっきりしない目で懸命に、その
地図上に自分の位置を求めた。やっと推定することができた
位置はイサベル島の北端(ガダルカナルから約80海里)から
北東60海里の洋上付近ということであった。
私はここで、あらためて太陽を、反方位よりやや左のほうに
おき、行きと帰りでは大体1時間近く経過しているので、
それだけ太陽が西に寄っていることも計算に入れ、ラバウルと
おもわれる方に進路をとって飛んだ。まだ視力が不足している
のでコンパスが読み取れない。

ところが行けども行けども漠々たる海ばかりで何にも見えない。
2時間も飛んだところで考え直した。唾で手入れしたばかりの
左の目をいっぱいまでコンパスに近寄せて見た。すると今度は
やっとそれが読み取れた。その結果はまことに意外だった。
自分ではラバウルの方向に飛んでいるとばかり思っていたのに、
なんと330度を指している。
これはとんでもない方角違いである。ラバウルに帰るには、
予想地点からいえば真西へ飛ばなくてはならないのに、私は
北に向かって飛んでいたのである。
なにも見えないはずだ。自分の位置ははっきりとはわからない
けれども、だいたいソロモン群島をずっと北北東にはずれて
飛んでいることがわかった。

さらにこのとき私は、ラバウルの東側にニュー・アイルランド島と
いう南北に走る細長い島のあることを思い出した。もしここで
90度の変針を行えばきっとその島に突き当たるに違いないと
確信した。私は再び希望を持って飛び続けた。またしても襲い
掛かる睡魔、幾度か右に傾き、左に傾き、ときには海面
すれすれに飛び、あるときは背面になりひどい状態で飛続けた。
3時間も飛んだと思ったころエンジンが停止してしまった。
しかし、すぐに燃料の欠乏が頭にきたので、ほとんど無意識の
うちに操縦桿を前方につっこんだ。これはプロペラの止まるのを
防ぐと同時に失速になるのを防ぐためだった。これはメイン・
タンクが切れたのだ。後は胴体タンクに90リッター残っている
はずだ。不自由な姿勢でやっと燃料コックを探し当て、胴体
タンクに切り替えると同時にスロットル・レバーをしぼった。
そして手動燃料ポンプをついた。

エンジンのほうの自動ポンプは、エアを吸っているために、
容易に燃料を吸い上げてくれないので、手動ポンプをついて
燃料を送ったのだが、スロットル・レバーをしぼったのは、
気化器をひらいた状態のままでエンジンを再起動しようと
しても、燃料が濃すぎてエンジンがかからない場合が多い
からである。

あと1時間と4,50分しか残り時間はない。ふとなにげなく
右翼の海面を見たら、うすぼんやりと何かが見える。
馬蹄形の島らしい。あのコバルト色の美しい珊瑚礁。今朝
ガダルカナルへの途中で深く印象づけられたあのグリーン
珊瑚礁だ。自分の機位がはっきり判った。そこで手製の
計算尺で計ったラバウルまでの距離は60海里。

そうわかると今度は燃料だけが問題だ。燃料計のボタンを
引っ張ってみた。40リッターの付近をさしている。あと
40分くらいしか飛べない。できることは飛行機を正しく
水平直線に飛ばすこと、それは平常の状態ならばあたりまえ
のことだが、いまは並み大抵のことではなかった。
必死になって飛んだはるか前方に島影が見えてきた。ニュー・
アイルランド島に間違いない。ところがなんと意地の悪い
ことか、いつのまにかスコールがやってきて、密雲が山の
頂きをべったり包んでいるのだ。この雲を突っ切る自信は
今のわたしには自信がない。一難去って又一難。燃料の
消費も気にかかるが、海岸線つたいに回るほか手はない。

やっとニューアイルランド島の南端を回りきって、右旋回、
燃料計の針は20から30リッターの間をピクピク指している。
ふと下を見ると1万トン級の巡洋艦が2隻、南に向かっている
のが分った。この艦のそばに着水すれば助けてもらえるかも
しれない。しかしこの2隻はあきらかにガダルカナルの急に
かけつけているのだ。私のために止めたりできない。また
ラバウルのほうに進路を立て直した。計算では後20分弱だ。

見覚えのあるニュー・ブリテン島が見え始めた、しめた、もう
大丈夫だ。おれは助かった。ラバウルだ。さあいよいよ着陸だ。
しかし不十分な視力で、右手、右足だけでうまく着陸できる
だろうか。私はラバウルの上空をフラフラ旋回し始めた。
このままでは着陸は無理だと思うようになった。海岸近くの
海面にすべりこもうと決意し、エンジンを絞っていった。
しかし別の考えがかすめた。なんとか陸上に滑り込むだけ
なら、できないことはなさそうだ。どうせ死ぬ身だ。
やり損なってももともとだ。

危なっかし操作でエンジンを増速し、かろうじて海面との衝突
を避け、再び舞い上がり、いつもの誘導コースを回って、
そのままの姿勢でまた降下していった。チラと燃料計をみたら
針はほとんどゼロを指している。あわててプロペラ・ピッチを
高速回転の方へ引き戻して、エンジンの回転を増し、
スロットル・レバーを赤ブーストいっぱいにかけて、操縦桿を
徐々にひいた。機はまた高度を取りはじめた。もう燃料がない。
いつエンジンが止まるか。徐々に右旋回で高度を約500
メートルにとることができた。ここまであがればしめたものだ。
滑空で飛行場に滑り込むことができるはずだ。幸いエンジンは
まだ回っている。右手で脚だしの操作をした。これも被弾は
なかったらしく、着陸よろしの青ランプが右、左と続いて点灯
した。しかしタイヤが撃たれてパンクしているかもしれない。
フラップの柄を前に倒してみた。指針はフラップ全開を示した。
操縦桿を放して、エンジンを少しずつしぼり、ただ二つの動く
肉体たる右手と右足に全神経を集中した。残り少ない
燃料だが、それでも火災を起すかもしれない。飛行靴の先で
エンジンのスイッチを切った。

高度がはっきり分らないが、椰子の木の高さを20メートルと
推定し、そのこずえの先端が自分の機と同じ高さにきたとき、
今20メートルと判断して、少しずつ操縦桿をひき、接地に
入った。ズシンと衝撃がきて、接地したと思った瞬間、
操縦桿をいっぱいにひきつけて、後は左右に回らないように
必死の努力を続けながら、どうやら指揮所付近と思われる
あたりで停止させることができた。
ああ・・俺はとうとうラバウルに帰り着いた。
そう思った瞬間、ガックリ首が後ろに垂れ、同時にスーと
いい気持ちになって、なにもわからなくなってしまった。

軍医長の話では、左の手足がきかないのは、後頭部の
負傷で交感神経がやられ、運動神経が麻痺しているため
とわかった。目はいろいろな薬で洗ってくれていたが、
こいつは大変だ、小さな破片がだいぶ眼球につき刺さって
いる。おれの手には負えないなと言った。ラバウルに帰り
着いたのは5時ころだったような気がする。すると撃たれた
のが12時20分くらいだから、それから4時間半、出発
してから帰り着くまで空戦時間もいれて8時間半だ。

○○
負傷によって内地に戻った坂井は佐世保や横須賀の海軍
病院で治療を受け、ようやく部隊へと復帰する。しかし、
右目の視力は低下したままだった。
このため大村で教官の配置となり、指導に当った。
ここでの教官歴は昭和18年の春から約1年間で、その後
志願して横須賀航空隊に移る。坂井はここで再び、
実戦的な訓練に励み、空中戦へのカンを取り戻していく。

19年6月、横空の戦闘機隊は全力を挙げて、東京の南
1000キロの硫黄島に移動し、アメリカ海軍と対決する
ことになる。
この戦いは6月下旬の1週間にわたって続くが、すでに
戦力に大差がつきつつあった。80機近い零戦が駐留
していたが、僅か3日の激戦でその殆どを失ってしまう。
この島を襲った米海軍の機動部隊は、500機をこす
グラマン戦闘機を擁していた。
この硫黄島の戦闘で坂井は少なくとも2機のF6F
ヘルキャットを撃墜した。
そのうち、とりあえず搭乗員だけは、一応内地へ帰って
新しい戦闘機を整備した上で、再びでてくることになった。
そのため木更津航空隊から輸送機が迎えにくることに
なった。

午後遅くなって1式陸攻と96陸攻撃が7,8機飛んで
きて無事に着陸した。幹部連中はいそいそとそれに
乗り込む。夕方までにまた飛行機がくるということ
だったがとうとうこの日は来なかった。
翌日陸攻がやってきたが、はやい順番の人を乗せて
飛び去ってしまう。そんなことを数回繰り返して、やっと
順番が回ってきた。一番最後の飛行機だった。
その飛行機はやっと着陸したかと思うと、右エンジンが
息をついていて離陸できそうにない。
3時頃整備が終わり我々搭乗員11名が乗った。しかし
島をかなり離れてエンジンが不調。相談を受けた坂井は
「不時着して死ぬよりは、もういっぺん降りて出直そう
ではないか」と言い、島に引き返した。あっちこっち調べた
後で、発火栓を取り替えたら、それで簡単に直った。

機は無事離陸したが、木更津への途中悪天候に遭遇、
若いパイロットに代わり坂井が操縦無事着陸した。

○堀越二郎は79歳、坂井三郎は84歳で亡くなった。

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Fー22戦闘機はなぜ最強なのか

ソフトバンク・クリエイテイブ社サイエンス・アイ新書
青木謙知著「F-22はなぜ最強といわれるのか」08年
12月24日刊を読む。

ロッキード・マーチンF-22ラプターは、現在ロッキード・
マーチン・エアロノーテイクスが航空機の事業を一手に
引き受けているが、その傘下にある。その本部は
テキサス州フオートワースにあり、実際にF22組み
立てているのはジョージア州マリエッタである。

ロッキード・マーチンでは、F22を従来の戦闘機にない
特徴をもっているところから、「第5世代戦闘機」と位置
づけている。ラプターRaptorとは猛禽類のこと・
その特徴とは、高いステルス性、より優れた運動性、
超音速巡航飛行能力、最新のセンサーの情報を融合化
させることでの高い状況認識力の提供、ネットワークを
活用しての作戦能力、高い展開能力、すぐれた維持・
管理性という、従来の戦闘機を上回る能力と機能をもち、
さらにそれをひとつのパケージに纏め上げたという点に
ある。

2006年に行われた「ノーザン・エッジ」というアメリカ
空軍の演習で、就役したばかりのF22は、模擬空中戦
で242対2という撃墜率を記録した。これは242機を
撃墜している間に、2機だけしか撃墜されなかったという。
通常なら5対1程度の撃墜率で圧勝といわれているから、
F22の完勝といってよい数字だ。

F22の用途について、「航空支配戦闘機」という言葉が
使われている。
これまで、空中戦で空を支配して制空権を獲得する
戦闘機を「制空戦闘機」といい、F15はその代表だ。
空中戦も対地攻撃もこなせる戦闘機を「戦闘攻撃機」と
呼ぶ。F16やF/A18など。

この「航空支配」という任務は,従来の制空戦闘をさらに
発展させたもので、敵戦闘機など空中の脅威を完全に
打ち負かすとともに、必要に応じ精密攻撃を行う。
味方の攻撃部隊が敵の戦闘機に遭遇することなく
任務をこなす支援を行う。
F22は当初は空対空戦闘だけを任務とする戦闘機として
計画されていた。しかしその後ステルス性を活用しての
精密攻撃能力も要求に加えられ、さらに現在では防空
レーダーや地対空ミサイルなどの、敵の防空網を制圧
する能力が追加される。

「ステレス(Stealth)」とは、「隠密」の意味だ。要するに
見つかり難いということ。
レーダーに対するステルス性を示すときに使われるのが、
レーダー断面積(RCS)という数値だ。これはある物体を
レーダーの電波で捉えたときに、その電波の反射波が
発信したレーダーに戻ってくる部分の面積で表したもの。
ステルス技術を使っていない戦闘機の場合、
5平方メートル程度と言われている。この数字は真正面
から捉えた場合。

ステルス性を高めるということは、端的に言えばRCSを
減らすこと。その手法としては、機体の形状に工夫を
こらすこと、レーダーの電波を吸収してしまう構造や素材
を使うことなどがあり、その度合いを高めればステルス性
も高まる。
成功例の一つが米のB2爆撃機(ノースロップ・グラマン)で
大型機でありながら0.75平方メートル以下のRCSを
達成した。
F22のRCSは0.01平方メートルとも言われこれを大きさで
表すと小鳥程度だという。

ステレス爆撃機B2とともにステレス戦闘機F117(ロッキード・
マーチン)が発表され、世界で最初に実用化された
航空機がロッキードSR71戦略偵察機であった。1964年
初飛行、1966年1月就役、高度24,000メートル以上を
マッハ3~3.5で飛行できた。SR71はすでに退役して
いるが、多くの偵察飛行を行いながら1機も撃墜されて
いない。

F22が装備する2基のプラット&ホイットニーF119エンジン
の推力変更式排気口は、排気の噴流の向きを上下に
変えることが出来る。

F22では超音速巡航時にはアフターバーナーを使わない。
マッハ1.82で超音速で巡航が可能とされている。

ロッキード・マーチンがF22に続いて開発している第五世代
戦闘機がF35ライトニングⅡだ。 F22に似た形をしているが
エンジンは単発。F22と同様に高いステレス性を備え、また
F22よりさらに進んだ最新のコックピットを装備しているので
パイロットの状況認識力が高まり、高い生存性と戦闘能力
を有する。一方でF22よりも大幅に低い価格達成が大きな
目標。
開発試験作業にはイギリスなど8カ国が参加していて、
多くの国に輸出することを目指している。
一つの基本設計から3タイプを製造する。空軍向けの通常
離着陸(CTOL)型F35A、海兵隊やイギリス空海軍向けの
短距離離陸垂直着陸(STOLVL)型F35B,海軍向けの
艦上(CV)型F35Cだ。装備国側の要求に合わせてどの
タイプでも輸出可能と。

○第3世代戦闘機
飛行性能の面では第2世代戦闘機と大きく変わるところは
ない。大きな違いは第2世代機の多くが、迎撃なり爆撃なり
単一任務を重視していたのに対し、多くの任務をこなせる
ようにした「多用途化」に開発の主眼を置いた。
第3世代機の一部には「可変後退翼」技術も適用される
ようになった。この世代を代表する戦闘機は、ボーイング
F4フアントムⅡだ。
F4はアメリカ海軍向けに開発されたものだが、空軍も導入
を決定した。さらに日本をはじめとする多くの国で装備が
行われた。その結果、アメリカ製ジェット戦闘機としては、
最多の5,195機(偵察型と日本のライセンス生産型を
含む)が製造された。
F4はすぐれた空中戦能力と対地攻撃能力を兼ね備えて
いた。

可変後退翼機が空軍向けの(元ジェネラル・ダイナミックス)
ロッキード・マーチンのF111だ。戦闘機というより戦闘
爆撃機。

旧ソ連では同じく可変後退翼を使ったMiG23が開発された。
また攻撃専用型MiG27もつくられ、両タイプともMiG21と
同様に多くの国で採用された。 F111の旧ソ連版といえる
のがスホイSu24,高速戦闘爆撃機だった。
MiG25フオックスバットはマッハ3近くの高速性とすぐれた
上昇・加速性能をそなえていた。2枚の垂直安定板や
主翼の配置などのちのアメリカのF15に大きな影響を
与えた。
また旧ソ連は米F4に影響されて開発したという、スホーイ
Su15と言う迎撃戦闘機がある。輸出はいっさいなくソ連
空軍のみが運用した。

○第4世代戦闘機
飛行中の戦闘機は位置と運動の二つのエネルギーを
持っている、位置エネルギーは高度のことで、運動
エネルギーは速度でこれ等は必要に応じて変換する
ことができる。第4世代戦闘機の最大の特徴は、この
エネルギーの管理を行いながらの空中戦を可能にした
点だ。

アメリカではノースロップ・グラマンF14,ボーイングF15、
ロッキード・マーチンF16,ボーイングF/A18がこれに当る。
いずれもが高い運動性を持っていて、それまでの戦闘機
よりもはるかに小さな半径で旋回などが行える。
F15は高速性能や加速性、上昇力に優れている。
F16はフライ・バイ・ワイア操縦装置など多くの新技術を
導入し、小型、軽量で扱いやすいこと、機体価格が安価
なことなどから、多くの国で導入されF4につぐベスト・
セラー戦闘機になっている。

旧ソ連では、MiG29とスホーイSu27が優れた運動性を
備えた。
西ユーロッパの代表機種は、フランスのダッソー・
ミラージュ2000と、英・独・伊の共同開発機パナビア・
トーネードがある。トーネードは可変後退翼の戦闘機。

○第4.5世代機
第4戦闘機よりは後に開発・実用化されたものの、第5
世代戦闘機の特徴とされる要素のすべては備えて
いない戦闘機である。

多くの場合、ヨーロッパ諸国が開発した最新世代戦闘機
を指している。
スウエーデンのサーブJAS39、仏のダッソー・ラファール、
英・独・仏・伊共同開発のユーロファイターだ。
この3機種に共通しているのは、無尾翼デルタの機体
構成にカナード翼と呼ぶ前翼を組み合わせている点。
米では第4世代戦闘機のF/A18を一回り大型化すると
ともにステルス技術や最新の電子機器を装備することで
戦闘能力を高めた、F/A18E/Fスーパー・ホーネットが
開発されている。

ロシアのMiG29の発展改良型MiG35やSu27ファミリーの
新世代型Su30/35も4.5世代に分類できる存在。

○F22に続く第5世代戦闘機
米ではロッキード・マーチンがF22に続く戦闘機として、
F35ライトニングⅡの開発を進めている。F35は単発の
小型戦闘機で、超音速巡航能力はないが、そのほかは
F22と同等の特徴を備えていることから、F35も第五世代
の戦闘機と位置付けている。
F35はまた開発試験の段階から諸外国も参加するなど、
F16に代わる国際戦闘機となる可能性を秘めている。

ロシアでは「PAK FA」という計画名で新戦闘機の研究が
スホーイが担当、設計名T50で行われている。
西ヨーロッパ諸国では、開発経費が高額となる、新世代
戦闘機はもはや1国では開発不可能との認識が広まって
いる。

独自戦闘機を開発している国にはほかに中国があり、
殲撃14型(J14)とよぶ新世代戦闘機の開発を行って
いるといわれる。

○ゲーツ米国防長官は4月6日、10年度(09年10月
から1年間)の予算編成に向けた装備見直し案を公表。
1機約1億4千万ドル(約140億円)とされるF22について
「導入が決まっていた187機で生産を中止する」とし、
「軍事的にそれ以上の必要がない」と理由を説明した。

F22は日本の次期主力戦闘機(FX)の有力候補で、
機種選定にも大きな影響を与える。
米議会は機密保持のためF22の輸出は認めていない
ので、日本側は今後ユーロ・ファイターやF35を検討
せざるを得ないが、日米関係からF35を採用することに
なるだろう。

尚中国はかねてパキスタンと共同開発していた戦闘機
「JF17」42機をパキスタンに売却する契約に調印した。
契約額は10億ドル(約9百80億円)。また本機は
アジアやアフリカの発展途上国への売却も見込んでいる。
調印はイスラマバードで、42機をパキスタンで共同生産
する。パキスタンは将来的には250機まで増やす
とともに、2010年には中国から早期警戒管制機も輸入
する計画という。
JF17は中国で「梟竜」、パキスタンで「サンダー」と呼ぶ。


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横浜パレード2009 横浜開港150周年

1859年の横浜開港以来150年でいろいろ記念行事が
行われているが、横浜パレードは例年通り、5月3日例年
通りのコースで10時より行われた。
tvkテレビでは以前は中継をしていたが、近年は録画
中継になり、今日も午後6時半から8時50分までの録画
中継となった。スポンサーも崎陽軒、伊勢佐木モールと
孝道山の3団体だけ。

司会は丸山周とtvkアナウンサー三浦綾子、二人とも
元気よく明るい。 観衆は39万人と。放送前過去4年間
のパレードの要約放送。

1.キッズ・パレード
○横浜チキー・ジャズ ○横浜日枝小 金管パレード
○横浜海洋少年団 ○東京デイズニー・リゾート・ドリーム・
クルーザー ○六浦睦 鼓笛隊 ○スイート・バンビーズ
小学バンド ○孝道山本仏殿 Little Wings
○都築区 劇団こころ 茅ヶ崎南ダンス・スクール
○都田西金管クラブ ○テインクル・キッズ バトン・グループ
○平安中 マーチング・バンド○金沢区子供会 鼓笛とバトン
○横浜創英中・高校 ○ジュニア・ジャザ・サイズ 踊りも
○三保マーチング・バンド 38年の歴史
○金沢プリテイ・ガールズ ○鶴ヶ峰地区鼓笛隊 ○釜利谷
マーチング・バンド ○湘南ドルフイン・マーチング・バンド
子供たちの表情が生き生きしていて可愛く素晴らしい、練習
もしっかりやっているようだ。

リポーター GOWさん登場。150周年イベント紹介。
「ラ・マシン 蜘蛛」、「未来シアター」、「アース・バルーン」、
「スパー・ハイビジョンTV」、「Pipo ラボ」、宮本亜門プロデユース
「ヴィジョン横浜」50分5月29日1日だけ2回、横浜市民500人
参加、テーマ・ソング ゆずの「未来」

2.スパー・パレード テーマは出航(旅立)のシンフォニー
○神奈川県警音楽隊 ○トビ工業連合会 木やり歌とまとい
○横浜商工会議所 ○信州松代連 在住の佐久間象山は
ペリー来航時、横浜開港を強調した因縁
○横浜コンベンション 提携都市のミス参加 ○横浜姉妹都市
マニラの友好協会 ○在日米陸軍バンド 30名
○横浜青年会議所 社交ダンス ○キリン・ビール ボラーレ
○横浜ベイ・スターズ ○日本ボーイスカウト 横浜地区カラー・
チーム 小、中、高 60人 ○馬車道商店街 ○法政大女子校
マーチング・バンド ○孝道山本仏殿 ○山形県から応援
北前船関連 ○横浜潮田マーチング・バンド 
○ハニー・クイーンズ ママのダンス・スクール
○相模原少年鼓笛隊 中学生 ピアニカが良い 
○永田半蔵ばやし ○相鉄ジョイナス・ダイヤモンド街
○横浜ポルタ ○洋光台バトン ヨコハマ・ロビンス
○ガランチード サンバ ○神奈川大学吹奏学部 スペインで
優勝経験あり ○伊勢佐木モール 
○横浜創英中・高マーチング・バンド ○横浜都築太鼓
○茅ヶ崎バトン 鵠沼高校マーチング・バンド 
○鶴見バトン・スタジオと関東学院マーチング・バンド
○日産自動車 本社が横浜に帰った ○戸塚高校バンド 
ダンスは茅ヶ崎中学 ○天理教日本橋 鼓笛隊
○みなと綜合高校スイング部 ○琉球国祭り太鼓
○大西学園すいんぐ部 ○創価学会富士
○神奈川県朝鮮中・高学校 衣裳が綺麗
○日大 中・高スイング部
○船プロジェクト 楽しいイロイロな船 7隻
○孝道山吹奏楽団 47回目出場 ○横浜中華学院 獅子2匹
○杉浦紀子 バトン・スタジオ ○鎌倉女子大 中・高マーチング
バンド ○アンデス村祭り隊 シクリアーダ演奏
○横浜リトル・メジャー・レッツ・スポーツ・バトン
○スカウト・ドラム・ビューグル・マーチング・バンド
○コカコーラ・セントラル・ジャパン ○崎陽軒K101
○横浜消防隊バンド
(ハマッパレ大賞は崎陽軒)

3.スーパー・エキジビション 於赤煉瓦倉庫前広場 15時半~
○ダンス・スタジオ W.Dream 刀を使う和風の勇壮な踊り
○社交ダンス・ワルツ 横浜ダンス・スポーツ協会
○バリはま 2009 バリ島のダンス ○横浜花扇会 
○浜スマ ○鵠沼高校 ○保土ヶ谷西谷連
○横浜山手女子中・高バトン部 ○韓国民団
○横浜フオ-ム・バトン ○埼玉葵連 川崎支部 
○港南阿波踊り会 ○横浜サルサ ○YLMプライマリー・バンド
○湘南森本連 日本武道踊り
○横浜華僑総会 竜舞い 2匹、獅子舞い 1匹

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新型豚インフルエンザ ウイルス4種が混合

5月3日朝日朝刊が、今回のインフルエンザは、人と
鳥、2種類の豚が持っていた、計4種類のウイルスが
複雑に混じり合ってできたことが、米国や日本の研究
チームの解析でわかったと報じた。

米疾病対策センター(CDC)や世界保健機構が公開
する新型インフルエンザの遺伝子情報をもとに調べた。
米コロンビア大のチームは今回のウイルスと過去の
研究でわかっている豚のウイルスの遺伝子情報を
照らし合わせた。
この結果、ウイルスに8本あるリボ核酸(RNA)のうち、
6本が北米の豚に感染するウイルスから受け継がれた
もので、2本が欧州やアジア由来のユーラシア型の豚
ウイルスから受け継がれたことを見つけた。

前者の6本には、人、鳥のそれぞれに感染するウイルス
に由来するRNAも混ざっていた。

人は通常、豚や鳥のインフルエンザにはかからないが、
豚は人や鳥のインフルにも感染する性質を持つ。98年
頃、北米で豚インフルが流行した時に、豚の体内で
豚ウイルス(H1N1)と人のA香港型ウイルス(H3N2)、
鳥ウイルスが混じり合って、まず「3種混合」ウイルス
(H3N2)ができたとみられる.
これが北米の豚ウイルス(H1N1)と交雑を重ね、最終的に
ユーラシア型の豚ウイルス(H1N1)と合わさって、
「4種混合」の新たな豚ウイルス(H1N1)になったという。
このウイルスの表面のたんぱく質が、人に感染しやすい
変異を起した可能性が高い。

生物資源研究所(沖縄)の所長たちは、北米の豚ウイルス
から受け継がれた6本のRNAのうち、1本が人、2本が鳥、
3本が豚(北米)由来であることを示した。
「ルーツが詳しくわかってきたことで、対策につなげられる
可能性がある。しかし今後もウイルスは変化する可能性
あり」と。

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海径5・6分隊会 築地校の10ヶ月 写真集

竹田、和田、地引、高橋、河田幹事より案内あり、5月
27日の如水会館にての例会で、かねて取り纏め中の
5・6分隊会写真集の草稿を提示し、了承が得られれば
印刷に回すと連絡あった。

竹田幹事より、阿部1号の補足、校正のあった草稿を
こちらに送るゆえ、チェック方依頼あり、送付越しあった
ものを見たが、よくできており、自分としては単語、助詞
の修正にとどまり、4月26日返送、28日受領した旨、
竹田よりメールが来た。

昭和18年12月入校以来の海軍経理学校築地校の
10ヶ月は、戦時下に拘わらず、学校内に自由の匂い、
香りがあり、厳しい訓練があったものの、若い青年たちと
まことに得がたい経験をした。

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石油メジャー 大幅減益 1~3月期

米エクソン・モービルが4月30日、純利益が前年同期比
58%減となる09年1~3月期の決算を発表し、米石油
メジャーがそろって大幅な減益となったことが判った。
各社とも原油価格の急落で、主力の油田開発部門の
収益が落ち込んだうえ、景気冷え込みで燃料販売も
振るわなかった。
原油価格が今後も1バレル50ドル前後で推移した場合、
配当の減額や高コスト開発案件の見直しを迫られる。

1~3月期業績
            純利益   増減率 生産量増減比
○エクソン・モービル  45.5億ドル(▲58)     0
○ロイヤル・ダッチ・シェル 34.9  (▲62)   ▲3
○BP              25.6 (▲64)     3
○コノコ・フイリップス     8.4  (▲80)     7

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3大銀行 09年3月期 赤字転落

三菱ファイナンシアル・グループ(FG)は5月1日、3月期
決算の連結純損益予想を2600億円の赤字に下方修正
した。
みずほFGと三井住友FGも赤字予想で6年ぶりに、3メガ
バンクがそろって赤字に転落することになる。

三菱FGは株安による保有株の損失処理費用が5700
億円。不動産業などの中小企業を中心に貸出先の業績
が悪化し、将来の貸倒れに備えた引当金の積み増し
などで、不良債権処理費用が急増。08年3月期の
4.5倍に当る3900億円を見込んでいる。

すでに業績予想の修正を発表しているほかのメガバンク
も赤字の理由はほぼ同じだ。
みずほFG 純損失  5800億円
三井住友FG 純損失 3900億円

大手銀行6グループの3月期の不良債権処理は合計で
1兆7千億円と4年ぶりの規模に膨らむ見通しだ。
6グループ合計の最終損益は、1兆2千億円の赤字に
転落する見込みだ。

尚、証券大手の野村ホールデイングは3月決算で、
7094億円の純損失を計上する見通しになった。
野村としてはこれまでで最大の赤字幅。
金融危機による有価証券の評価損や手数料収入の減少
が響いた。

農林中央金庫の3月期決算は経常損益で6200億円の
赤字になる。赤字は住専の処理に追われた96年3月期
以来13年ぶりで、赤字幅はこれまでで最大。

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クライスラー 破産法申請

クライスラーは30日、日本の民事再生法にあたる連邦
破産法11条の適用を申請した。そのうえで、アメリカと
カナダの両政府から日本円にして1兆円規模の支援を
受けながら、イタリアの大手自動車メーカー、フィアット
との提携を軸に再建をはかることになった。

クライスラーは30日、最大の焦点となっていた債務の
削減をめぐって、既に労組や大口債権者とは合意した
ものの、ヘッジファンドなど小口債権者との交渉が難航、
交渉期限前日の29日に決裂していた。
このため、自力での経営再建が困難となり、ニューヨーク
の破産裁判所に、日本の民事再生法にあたる連邦
破産法11条の適用を申請した。そのうえで、イタリアの
大手自動車メーカー、フィアットと提携することで合意した。
フィアットは、当面はクライスラーの株式を20%取得する
かわりに環境対応車の技術を提供し、将来はクライスラー
の子会社化も視野に入れるという。

一方、アメリカ政府は、部品メーカーなどへの影響を
最小限に抑えるために、クライスラーの工場があるカナダ
政府と協調して、あわせて約100億ドル(1兆円)規模の
支援を行うことにしている。両国政府は、新しい経営陣も
選定するなど当面関与を続けながら、1か月から2か月を
めどとする短期間での再建を後押しする方針。

クライスラーは、今後、裁判所の管理の下、大規模な
リストラを行うことになるが、部品メーカーの連鎖倒産や
雇用情勢の悪化につながらないか懸念も広がっている。

クライスラーが日本の民事再生法にあたる連邦破産法11条
の適用を申請したことについて、二階経済産業大臣は閣議
のあとの記者会見で、今後、国内の自動車部品メーカー
などに大きな影響が及ぶ場合は政府として直ちに支援策を
講じる考えを示した。この中で二階大臣は「わが国の自動車
メーカーや部品メーカーは、GMやクライスラーの経営問題に
ついてあらかじめ情報をつかみ、それぞれに対応策を打って
いる」と述べ、クライスラーが連邦破産法11条の適用を申請
したことによる日本の産業界への打撃は、足もとでは限定的
だという認識を示した。
そのうえで二階大臣は「自動車業界は部品メーカーをはじめ
中小企業が多く従事している分野でもあるので、関係企業
への影響が多く現れる事態になればしっかりと対応する」と
述べ、クライスラーの経営破綻によって、今後、国内の
自動車部品メーカーなどに大きな影響が及ぶ場合は
政府として直ちに支援策を講じる考えを示した。


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