1月12日TBSで見る。21時ー23時。
原作は、作家・城山三郎氏の死後に見つかった、妻との
日々の回想録。がんで余命僅かとなった妻を宝物の
ように慈しむ作家の姿が切ない。
城山三郎(田村正和)と妻の杉浦容子(富士純子)の
一途な愛。 城山が大学2年(商大)の時、名古屋の
図書館で高校生の容子と会う。図書館は急な休館日
のため、城山が歴史の本を貸すとともに、映画館に行く
ことになった。二人ともジャズを知らず、グレンミラーの
名前も知らなかったが、「グレンミラー物語」を見て、
二人は共感する。
その後付き合うことになったが、ある日突然容子から
縁切りの通告をうける。(後で判ったことだが、近所の
人が映画館で二人を見つけ、父親に言いつけたため、
高校生としてけしからんとして叱られたためだった)
城山が就職後一ツ橋の同期生が10人ばかり、名古屋
に赴任してきており、仲間と名古屋のダンスホールに
行ったところ、奇跡的に再会、結婚することになった。
城山26歳、容子22歳。容子は満州から帰還のさい、
母を亡くしていた。
城山は戦時中、戦時猶予のある理科系大学に入って
いたが、軍国少年であったため、海軍幹部練習生に
入隊、油壺で水中特攻の訓練を受けていた。
戦後岡崎の愛知学芸大学の講師をしていた。
新居は名古屋広小路の実家の商店内(室内装飾業)
であった。容子は家業も手伝はざるをえなかった。
容子の家は名古屋中村区にあった。
城山は大学講師(岡崎市在愛知学芸大)は続ける
つもりだが、作家にもなりたいと言い、容子は貴方に
しか書けないことを書け、応援すると言った。
茅ヶ崎に家を建てた時代、昭和34年1月、直木賞
(作品は総会屋錦城)を授賞した。
茅ヶ崎の家は2軒からなっている。古いほうは本の
保管所になっており、仕事場は借りたマンション。
仕事は家に持ち込まないとの妻への気遣い。
10階の部屋は茅ヶ崎の海が一望できた。
次女は井上紀子、孫娘は井上裕子、長男は
杉浦良一(銀行でデイラーをしていた)。
容子のがん(肝臓癌)が発見されたとき(1999年秋)、
医者から手術はしない、抗がん剤は使わない、
手の打ちようがない。あと3ヶ月といわれた。
また脳梗塞も12月半ばに起し倒れた。1週間後に
目を開けたが、城山の対談放送を気にしていた。
娘の紀子が今放送中と告げる。
茅ヶ崎総合病院に入院していた。意識を取り戻して
からの1ヵ月半は家族の濃密な時間だった。
家族でアフリカに行ったことあり。 弁当を作って
動物園に行きたいという。
城山は長男に言う。「人間の幸せなんて簡単な
ものだ、仕事と伴侶があれば」と告げた。
病室には城山が感じたように、宇宙創造以来の
歴史が流れていた。
2月24日死去、68歳。立ち会ったのは城山だけ。
城山は葬儀に出ないという。現実の死に抵抗した。
妻は心のなかにいるだけ、自分を守り、幸せにする
守護天使だ。
孫むすめ、裕子の「おばあちゃんは挨拶してけじめを
つける人だった。今度も挨拶させてあげて」との説得
にようやく応じ、列席した。
仏壇はなく、一緒に旅行したオリエント急行の車両
の模型と写真が飾られていただけだった。
1月14日,新潮社刊「そうか、もう君はいないのか」」
2008年1月25日、発行2008年9月15日現在
12刷、(初出「小説新潮1月号)を買う。
次女紀子さんのあとがきがいろいろな経緯を明らかに
している。二人の出会いの話を聴いたのは、母が
亡くなる半年前、母本人の口からであった。
母は城山にとって、天から落ちてきた「天使」、「妖精」
だった。
城山は急性肺炎後の間質性肺炎で2007年3月
22日歿、79歳。
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